未信者ナアマンこそ・・・
2004.10.9(年間第28主日)ミサ説教音声
音声を聞くためにはReal Playerが必要です。無料でダウンロードして使うことが出来ます。
列王記下5,14-17
(その日、シリアの)ナアマンは神の人(エリシャ)の言葉どおりに下って行って、ヨルダンに七度身を浸した。彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになり、清くなった。
彼は随員全員を連れて神の人のところに引き返し、その前に来て立った。「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。今この僕からの贈り物をお受け取りください。」
神の人は、「わたしの仕えている主は生きておられる。わたしは受け取らない」と辞退した。ナアマンは彼に強いて受け取らせようとしたが、彼は断った。
ナアマンは言った。「それなら、らば二頭に負わせることができるほどの土をこの僕にください。僕は今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません。
(日本聖書協会『聖書 新共同訳』 より)
春夏の甲子園で、涙をのんだ球児たちがグラウンドの土を袋に詰める姿は、彼らの甲子園にかける思いの深さを物語っているようで印象深い。部屋の壁にぶら下げて生涯の思い出にしたいのか、それとも、再度の甲子園を誓うよすがとするのか・・・。いずれにしても、甲子園は、彼らにとって青春の最高の思い出に違いない。
秋になって、甲子園を持ち出すのは何だが、ナアマンが土を持ち帰ったエピソードが夏を思い出させた。昔、エルサレム巡礼をした時に買ったロザリオにも、「エルサレムの土」が塗られていた。もっとも、絵の具か何かを塗ったのだと思うが・・・。また、現教皇が、日本を訪問された時、飛行機から降りて身をかがめ、両手をついて地面に接吻されたことも日本人に強烈な印象を与えた。
思い出としての土、私たちが生活する場としての土。地に足のついた、という時の土。その土が祭壇になった話し。
「アラムの王の軍司令官ナアマンは、(略)勇士であったが、重い皮膚病を患っていた。」(Ⅱ王5:1)彼は、長い間の病から解放された時、お礼がしたいと思った。だが、エリシャは受け取らなかった。
「それでは、せめて土を頂きたい。」
「どうぞどうぞ。」
喜び勇んで、ナアマンはらば二頭分の土を袋に詰めて持ち帰った。一体何のため?きっと、イスラエルの神を礼拝するための祭壇を築こうと思ったのかも知れない。持ち帰った土を基礎に据えて。
そうなのだ。今日の話のポイントは、異教徒ナアマンが自分の思い出の品を残したのではなく、癒しという特別の出来事が起こった場所の土を神の記念の品として持ち帰り、手を汚しながら、きっと、神を称える祭壇を築いたに違いないこと。
どんなに強烈な体験でも、時と共に、その感動は薄れていく。しかし、帰国後、子供のようなもち肌?になった自分を人々に示しながら、イスラエルの神の偉大さを、興奮しながら人々に語り、毎日神をほめたたえていたのだった。そんなナアマンもやがて、つやのある自分の肌が当たり前に思われるようになり、特別の感慨が湧くこともなくなった。しかし、築いた祭壇の前に立つたびに、合掌し、神に感謝をのべるのが習慣になった。
ともかく、未信者のナアマンが祭壇を築いた!
雨の日、目の前を行くダンプカーが大きく右に蛇行した。駐車中の車をよけたのかと思った。彼がよけたのは車ではなく、登校中の高校生だった。轢きそうになったからではない。水しぶきが高校生にもろに当たらないためだと分かった。ダンプは確かにかなりのしぶきを上げていて、歩道すれすれでは歩行者が可愛そう。ダンプ・ゴッツイオッちゃんのイメージ?偏見?が吹き飛んだ。「神様は彼の心遣いを決して忘れない。」尊い思いに駆られた。運転席。彼なりに神様を称える彼の祭壇。彼は未来の信者(未信者)。
そう言えば、姉と父親との三人暮らしのエツロウ君は、介護が必要な父親が、いよいよ目が離せなくなったという。
姉さんを教会に送り出したら父のそば。「ボクこの頃ミサに行っていません。」「君のミサはお父さんの介護。悔いのないようしっかりやりなさい。」彼が祭壇を築く場所は、父上の介護の一コマ一コマ。
で、信者のあなたの祭壇はどこに?
そうそう、今日の福音でも、イエスを感動させたのは、未信者のサマリア人だったようですが・・・。(ルカ17,11-19)