イエスの裏技を暴く
2004.10.17(年間第29主日)ミサ説教音声
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ルカによる福音18,1-8
イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。
「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。
ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」
それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。 まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。
言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」
(日本聖書協会『聖書 新共同訳』 より)
「気を落とさずに絶えず祈」って欲しいと願う反面、「人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか」と不安に駆られるイエス。
日本の社会がこれほど乱れてくると、イエスの不安は現実のものになっていると言わざるを得ない。次から次に起こる身近な人々の殺害。まるで、信仰?祈り?それでナンボノモンヤ!と挑まれている感じすらする。
しかも、元?信者から、臆することなく「長男は神前結婚」などと報告されると、元主任司祭としては完全にキレてしまう。信仰どころか、それなりに信仰の質を高めたいと健気に努めている者をあざ笑うかのような仕打ち?に打ちのめされてしまう。もっとも、「バカタレが!」と一喝したくなるところにも神の国は実現するんだと信じられるかと人には挑発的発言をしておきながらキレてしまっては、笑止千万。気を取り直して祝電を打つことに。
間もなく、「私たち結婚しました」というはがきが届くことだろう。これまで音信不通だった元祭壇少年隊の一人と十数年ぶりに連絡がつくことになる。
こんなことを想像しながら、プッツンしなかったことになにかホッとしたものを感じた。それは、多分、主の祈りを毎日口にしているイエスの信者の一人として、道を踏み外さなかったという安心感のようなものかも知れない。
そうして気がついたことがある。ボクでなくても済むような用件の後で、ついでにと言いながら話した息子の結婚話。ぼくには、めでたさ半減、ニガミの優った話しだったが、彼女が一番話したかったのは、それだったのではないか。元祭壇少年隊の人生の一大事を元主任司祭には伝えておきたい。それで受話器を取った。
そして、更に重大なことに気がついてあわてた。
もし、キレたままでいたら、それこそ、彼女の気持ちを踏みにじることになる。そんなことはイエスの信者として赦されることではない。司祭としての聖なる怒り?を安易に正当化しなかったことに胸をなで下ろした。彼女の真意については憶測の域を出ないとしても、何かが始まろうとしている予感に胸がときめいた。そうだ、イエスさまが、得意の裏技で、ボクの信仰を試したのだ・。だとすると、くやしいけど、彼女はイエスさまのお使いだった!?うっかり見落とすところだった!
ウーム!そうだったのか。
ヨシ、ついに分かったゾ。
「人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」これは世の終わりのことではない!毎日の何気ない、あるいは思いがけない出来事で、イエスが気づかれないように手を出すのを暗にほのめかしているに過ぎない。そうなのだ。裏技の予告なのだ!
何とかクリアーしたとは言え、テキは本能寺にあり。心したい。