現在の場所: ホーム Binder 日曜日のはなし 2004年 イエスの側近への道?
ナビゲーション
最近のエントリ
ペトロパウロ休日 2014年06月29日
有難うシスターたち 2014年06月27日
大分教区司祭研修会 2014年06月26日
32年ぶり班制度 2014年06月24日
梅雨の晴れ間に 2014年06月19日
 
編集操作

イエスの側近への道?

作成者 admin最終変更日時 2006年03月30日 22時24分

2004.11.21(王であるキリスト)ミサ説教音声
音声を聞くためにはReal Playerが必要です。無料でダウンロードして使うことが出来ます。

今週の聖書 

ルカによる福音23,35-43

 民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」
兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」
イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。
十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。
我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。
するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
(日本聖書協会『聖書 新共同訳』 より)

今週のポイント「王になりたくて王になれなかった夢見る男の末路がこれか。哀れなもんだ。」民衆も、議員たちも、そして兵士たちも、イエスがただのお騒がせ者だったことを確信し、なすすべもなく苦しむだけのイエスにある種の苛立ちを募らせていた。しかも、十字架上の犯罪人までもが・・・。
 そんな中で、イエスを弁護し、王と認知して控えめな救いを願ったのが隣の犯罪人の一人だったとは!究極の逆境、断末魔の中で、イエスの心に届いた一条の光。そして、唇をふるわせながらなされた楽園の確約。闇に覆われたイエスの壮絶な死の場面がくっきりとスポットライトで照らされ、二人の穏やかな顔がクローズアップ。数時間前まで無縁な二人が、しかも十字架上で隣り合わせになった二人の一瞬の出会い。王としての最後?の大仕事を果たしたイエス。こうしてイエスのドラマは有終の美を飾った!しかし、それにも増して?、人生の最後にあたって百万ドルの輝きを放った元犯罪人こそドラマチック。天国ドロもーとも言うが・・・。

 それにしても、今日、心惹かれたのは、文字通り両手を広げて、人々の面前に唯一立ちはだかり、孤立無援のイエスを擁護した犯罪人の姿だ。威風堂々の王の側近という勇姿ではなく、凶悪犯としての逃亡生活にやつれているとは言え、今ではすっかり実直な以前の姿を取り戻したどこにでもいるオッサン。
 そう言えば、あの弟子たちはどこに行ったのか。イエスの最後に立ち会い、イエスに親愛の情と信頼に満ちた言葉をかけてイエスの心を感動で震わせたのが、あの弟子たちではなく、身動きのとれない、しかも、元犯罪人だったとは!

 元犯罪人を称えながら周りを眺めると、世の人々と判別のつかないイエスの側近の数々。そんな現実を意に介することなく淡々とイエスの心を震わせる水を受けたことのない側近の数々。一体イエスは、どっちの王?いや、それより、イエスは、ご自分で、どっちの側近に水をかけてあげたのかお忘れではないのかと不満な感じもするだが・・・。

 あ、つい、また、当局側の悪い癖が出てしまった。そう言うアンタはどうなんだと聞き返されて、「何かで読んだのですが、毎日、嬉しかったことを一つメモすることにしています。」側近の仕事としては、胸を張って言えるほどのことではないかも知れないが、ますます暗さを増す社会の中で誰にでも出来て、しかも、王であるイエスさまを称えるのに有効な感じがするものだから・・・。

 あなたも普通のオッサン、オバハンとして如何?  


Powered by Plone CMS, the Open Source Content Management System

このサイトは次の標準に準拠しています: