気高く強くムラサキゴテン

ヒミツそれでも咲くムラサキゴテンの花の秘密に迫りたい。蛍光灯の真下に移動して明るいところで撮ろうと、鉢本体に手をかけたのがいけなかった。

椅子の肘掛けに置いてiPhoneに手を伸ばした途端落下。不安定さが気にはなったが後の祭り。まるで、目の前で倒れた子どもを抱き抱えるかのようにあわててかき抱いた。一本は無傷でももう一本は葉がおち、ぽきりと折れ、薄皮でつながっていた。「あーゴメンゴメン!」鉢からこぼれた土を掃除機で取り除き、折れた茎はゴミ箱へ。

そして、昨日の朝早く、いつものようにミサのため聖堂に入ると、一本だけになったムラサキゴテンがいかにもみじめで寂しそう。ふと、ごみ箱のもう一本が気になった。急いで拾い上げ、カップローソクのカップに水を注して生けた。夕方になっても変化はなく、手遅れだったかもしれないと胸が痛んだ。

明けての今朝、ビックリした。開花しているではないか!さすがに小ぶりだったが、あわてて元の場所に、というか、相方の近く、マリア様の前に置いた。それにしてもなんと健気(けなげ)!不本意にも幹から離され、ごみ箱に捨てられようとも使命を立派に果たしている。そう思ったとたん、思い悩んでいた、鴨池教会でのミサの説教と脈絡なくつながった。

「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」神さまから花を咲かす使命受けたムラサキゴテンはどんな状況に置かれようがちゃんと花を咲かせた。やはり神様から使命を受けたファリサイ派の人々はそれを拒み別の花を咲かせた。私たちはどうか。このムラサキゴテンほどの忠実さは?

命を失いかけても、説教に悩む一人の司祭に光を与えることができたムラサキゴテン。さすが御殿と呼ばれるだけあって気高く強い。この忠実さこそ、神のものは神に返す姿ではないのか。何の話か怪訝な顔をしていた信者たちがこのころから頷き始めた。

ゴテンに救われ、ゴテンに癒された主の日。

※説教で、ムラサキゴテンのことを「ムラサキツユクサともいう」と知ったかぶりをしたが、正確には、「ムラサキゴテンはムラサキツユクサ属の一つでべつもの」。訂正してお詫びします。

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☆神に仕える身でありながら、カミガミ(紙々)の要らない世界を標榜する人間の一人として、電子メディアに自分の思いを綴ることは大きな喜びです☆本を書かない代わりにここでいろんなことを書いてみたい。

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