昨日、15日は韓国人初の司祭聖アンドレア金の故郷聖地ミリネでミサ。ミサ後、AYD参加の若者たちと教皇の対話。カンボジア、香港、韓国の3人の若者たちによる信仰の証と教皇への質問という形でおこなわれた。
自分の生き方を教皇がどう思うかやこれからどう生きていけばいいのかを問うものだったり、正直なもので微笑ましくも感動的なものだった。教皇は最初英語で答えられたが後はイタリア語。どちらもクリアーでなく十分聞き取れなかったのは何時ものように残念の一言。ホテルには11時帰着。
そして明けての今日は124名の列福式。場所は光化門。ミサが終わる頃に気がついた。キョンボックン(景福宮)、つまり、かつての朝鮮王朝の王宮に向かう真直で広大な道路。日本統治下時代、日本は王宮に至る門を塞ぐかのように門の内側に朝鮮総督府を建設した。韓国は正門を移さざるを得なかった。これが光化門だ。韓国の人々にとっては屈辱に満ちた思い出の門。
そんな歴史の負の遺産を前に列福式が挙行されたというのも考えさせられる。不当な殉教で血を流した人々を称える場所としては相応しいといえばふさわしい。日本の司教14名と大使も出席。たまたま帰り道に隣り合わせたので、そんな話を少ししたら「そうそう…」と顔を曇らせた。歴史をわきまえておられるのに驚いた。
ついでに言えば、名前は忘れたが王宮の奥には丸いきれいな池がある。日本からの観光客は左から右回りに池を愛でながら帰って行く。しかし、半分を過ぎた辺りで左手を見ると、そこには、恐ろしい形相で刀を振り上げる日本の侍と劫火の中を泣き叫びながら逃げ惑う宮廷の女性たちを描いた大きな壁画がある。
20年以上も前に見せてもらったことなので詳しいことは忘れたが…。いずれにしても、昨日と今日、日本人にとっては韓国で過ごす意味は大きい。贖罪の祈りは欠かせない。123名の福者たちの取次を心から祈るばかりだ。
会場となった道路はセジョンロ言ったと思う。その通りの真ん中に王宮を守るかのように、豊臣秀吉の海軍を沈めた英雄イスンシンの大きな銅像が立っている。遠目にも確認できた。
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