ヒョンなことからザビエル様

インドの人たちからのメールはいつもカラフルで太文字。「ルルドの聖母の祝日おめでとうございます」の挨拶で始まるMEインド代表からのメールは各地でのウイークエンド開催やお祈りの依頼など様々なカラー太文字でのお知らせ満載。“毎日のミサ”を開いて発信当日の2月11日の灰の水曜日がルルドの聖母の記念日と判明。「今日は何の日」というのが瞬時に思い浮かぶほど信仰中心の生活であることが伺えて脱帽。

2月11日(木)-14日(日)のウイークエンド開催地がTuticorinとあったことで日本語で言ってみた。トゥティコリン。確かどこかで聞いたことがある。ザビエル様関連の著作を読んでいるときだったように思う。何冊かあたってみたうちの一冊にあった。インドの南端コモリン岬から北東120キロの漁民海岸にあり真珠取引の中心地がトゥティコリン。その本とは「ザビエルの海」(宮崎正勝著 原書房)。

イスラム商人の横暴に苦しんだ人々はポルトガルに助けを求めてヒンズー教からカトリックへの改宗を願った。3人の司祭が派遣されて2万人もの人が洗礼を受けたという。もっとも、それは形式的なものでヒンズー教からの真の改宗ではなかった。1536年から37年のこと。やがて、イスラム商人からの反撃で多くの住民が虐殺されることに。ところが、たまたま居合わせたポルトガル船がイスラム商人を撃退。その時の艦隊の指揮官が、ザビエル様を乗せてやってきたマルティン・アフォンソ・デ・ソーザだったという。そんなよしみでソーザは人々の真の教化と人々との友好のうちに安定した利益を得るために、ザビエル様の来訪を熱心に勧めたという。

インド南端。赤のマーカーがトゥティコリン。右下はスリランカ。2年半にわたるトゥティコリンでの宣教活動は、多くの人に洗礼を授けたとはいえ、苦労は絶えなかったようだ。とくに、ポルトガル人による現地王子の僕拉致事件に大きなショックを受け、事の真相がつかめないまま苦しみだけがつのっていく様子がつづられている。心労のあまり、このようなことを聞かないために、アビシニア(エチオピア)に行きたいと思うと述懐しておられる。以上、「聖フランシスコ・ザビエル全書簡1」253頁‐256頁より。

そうはいっても、「2年半の漁民海岸での生活は達成感のないものとなったようである」(「ザビエルの海」126頁)という理解には同意できない。逃げ出したいほどの苦労はあったに違いないが、それでも、「あなたにお願いしたいこと、それは、極めて難しいその地の人々と接して嫌気を起こさないこと、…」(書簡1 218頁)と諭しているところからも言える。ヒョンなことからザビエル様についておさらいすることに。(つづく)

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