ハンセン病対応先進地
韓国に来てからカラッとした日がなく、雨っぽい曇りの日が続く。それでも2日目の3日、待望のバードウォッチングが堪能できた。会場となった黙想の家は水原(すおん)教区の施設で野鳥が飛び交う森の中。
かつては、“ラザロ村”というライ療養所で始まった。ネットでの知識だが、韓国のハンセン病に対する対応は極めて先進的で、日本のような強制的な隔離は取っていない。1950年の朝鮮戦争以来駐留するようになったアメリカ軍を通して正しい知識と特効薬がもたらされたためだという。今では、治療を要する少数の人々を除き、回復者した人々が酪農や果樹栽培に従事しているという。毎日提供される味のいいリンゴやモモ、牛乳はそうした農家から供給されているのかもしれない。野菜と魚中心でしかも薄味の食事が嬉しい。中でも白菜のキムチは絶品。日本のものは甘ったるくてまがい物のそしりを免れない。
名残尽きないアジア会議
そうこうしているうちに、あっという間に会議は終了し、めでたく代表司祭の役を降りることができた。来年はマレーシアがホスト国。「来年も会えるよね」と何人からも聞かれたが「神様だけが知っている」とかわした。なじみになった各国の代表司祭や夫婦たちに会えないことを思うとやはり心残りだが、もう行くことはない。それはそうと、6日(金)の遠足は楽しかった。特に、民族衣装に着替えての国立公園(秘園)の1時間余りのツアーは大汗をかいたが、これも初めてにして最後の体験となった。秘園は2回目だが、なぜ「秘密の園」なのか疑問だったが、「王様とお付きの者だけが入ることができるから」なのだとガイドさんに教えてもらった。ここには、自然そのものを愛でるという観点から、人の手になる花や植物は一切ない。しかも、図書館も併設されていて、読書にふけったり瞑想したりするという洗練された感性に感動した。もちろん当時の蔵書は国立博物館に納められていて現在は空っぽ。(ここまでは韓国で)
書きたいことはまだまだあるが、とりあえず、お祈りに感謝して帰国報告ということで。午後から一週間またも留守。その間、韓国の続きが書けたらいいのだが。
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