キリシタン屋敷跡の人骨は殉教者シドッチ神父さんに違いない!

ビッグニュース

左から長介・シドッチ神父・おはるの墓カトリック中央協議会から先日送付された4月の常任司教委員会議事録のA3版綴じ込み報告資料は、先般一般紙でも報道され、教会関係者にはビッグニュースにもなった再開発に伴って出土した三体の人骨に関するもの。去る4月4日に文京区でなされた区長による記者会見で提供されたもので、「考古学的、文献史学的、人類学的分析結果からシドッチ神父である可能性が高いことが判明した」という。

分析結果に対する疑問

資料からもう少し詳しく紹介すると、埋葬方法はほぼキリスト教式で、時期は17世紀後半から18世紀前半。所属集団はイタリア人のDNAグループ。170センチ以上の中年男性。そこまではっきりしているのに、どうして、「シドッチ神父である可能性が高い」というあいまいな結論で締めくくるのか。しかも三体のうち、もう一体は同時代の男性で日本人のDNAグループと断定したのだから、これは長介。ちなみに、もう一体はおはると思われるが具体的な判別ができなかったという。

間違いない!

カルガモともあれ、断定することなくあいまいな結論しか出さないのは学問の世界の言語表現と理解して、教会としては「間違いない!」と断定したいのだが。そして、早速、「殉教者シドッチ神父と長介、おはるの列福運動」が始まることを期待したいところだ。

あれから34年

カトリック作家の遠藤周作や井上ひさし両人から「シドッチ神父顕彰碑建立の提言」が屋久島に届けられたのは、種子島教会勤務時代の1980年ごろだったか。調べてもらったら、第一回目のシドッチ祭が1983年なので、除幕式はその前年の1982年ということになる。種子島教会も招待され、町長さん自らがデザインされたという屋久杉製の十字架のループタイが参加者に配布され、全員身に着けてお祝いしたことが思い起こされた。「あいにくの天気で残念ですね。」「シドッチ神父様の苦労にあやかれるからかえって相応しいんじゃないですか。」「あ、そんな風に考えるんですね。なるほど!」記念碑に向かう道々交わした役場の人との会話も心地よかった。

行政主催から教会主催へ

ダイシャクサギあれから、33年行政主催のシドッチ神父上陸記念祭が続けられた。「行政が宗教行事?」と思うかもしれないが、あくまでも「上陸記念式典」という位置づけ。だから、「鹿児島教区長の祭式」にも祈りや聖歌はない。要するにお話。宗教的なものでも結構。もっとも、33回目となった昨年からは教会主催になったことで、聖歌や祈りがふんだんにある。行政からの参加者はこれまで通り。今年も、従来通り地域の祭り日に合わせて11月23日に行う予定だ。実際の上陸は1708年10月11日。

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