日本モンテッソーリ協会(学会)第51回全国大会

 

包括教育

当然だがいたるところに郡山、郡山

当然だがいたるところに郡山、郡山

はじめて参加したモンテッソーリ協会全国大会のテーマは「インクルーシブ教育とモンテッソーリ教育」–気になる子供と共に–。インクルーシブ(すべてを包括した)、指宿での幼稚園大会で初めて目にした言葉。日本語の意味としては理解していたが、教育の場で流行り言葉になっていたとは。日本教育の進化が感じられて頼もしい感じはするのだが、やっぱり英語でしか言えないのかと思うと豊かな日本語の貧しさが気になる。モンテッソーリは人の名前だから仕方ないが、インクルーシブ教育だと翻訳という作業が間に入るから植民地文化のレベルと言っていい。むしろ、包括教育なら漢字を見ただけでなんとなく見当がつく。

愛と調和

会場前の通りでは一般参加も

会場前の通りでは一般参加も

「いつくしみの聖年」は2年前だったか、「あれは憐れみにすべきだったのに…」という話を聞いたことがある。ことほど左様に日本語は豊かというかややこしいというかとにかく面倒くさい言葉ではある。日本人のメンドウくささの原点だ。あ、いや、そんなことはどうでもいいとして、9時から休みなしに3つも4つも立て続けに教育論を聞くのはかなり疲れる。お陰で鹿児島と同じ9時就寝を励行できた。それもどうでもいいとして、モンテッソーリ教育のすばらしさを改めて実感した。今回最も興味を感じたのは、気になる子供と共に、という副題だ。基調講演はダウン症で書家の女の子の母親。母親が書家ということもあって5歳の頃から始めたという。「社会の埒外で生きた」ので打算や競争心、欲が全くない。だから、「この子の周りでは愛と調和の本当の社会が生まれる」のだという。「この子には神様が降りてきて働いてくださるとしか思えない」とも。

書とリコーダ

懇親会の終わりは花笠踊り

懇親会の終わりは花笠踊り

NHK大河ドラマの題字を書いたこともあり、各地のお寺や神社で書道を公開するなど各メディアにも多く取り上げられ、今や有名人。そういうこともあってだとは思うが、3年前から独り住まいをはじめたところ、地域の人から喜ばれ、彼女の家の前の通りは彼女の名前をとって「しょうこ通り」と呼ばれるよになったという。1時間の持ち時間では語り尽くせないほどの「いい話がまだまだたくさんあります」と話された結びの言葉は「どんな子にも希望がある」だった。続いての親子3人でなされた演奏の中心はやはりダウン症の女の子だった。リコーダ奏者で、お父さんはフルート、お母さんはピアノ。素晴らしい音色の楽しいファミリーアンサンブルだった。本論に入る前に報告の第1部を終わるが、引越し準備の続きが待っているので第2部が書けるか自信はないが。*会場での写真撮影は禁止。当日は郡山市の祭り。したがって祭りの写真だけ。悪しからず。

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☆神に仕える身でありながら、カミガミ(紙々)の要らない世界を標榜する人間の一人として、電子メディアに自分の思いを綴ることは大きな喜びです☆本を書かない代わりにここでいろんなことを書いてみたい。

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