バチカン大使の司教たちへの言葉
バチカン大使の言葉が送られてきたので紹介したい。シノドスのこの期間、極めて時宜を得たメッセージに共感した。全文を紹介するわけにはいかないが感想を交えて一部を紹介したい。
「シノドス」と「シノダリティ」は同義ではありません。「シノドス」は具体的な出来事であり、「シノダリティ」は教会生活のいくつかの特性を示す概念です。「シノダリティ」とは、教会が生きて働く、いやむしろ、教会が生きて働くべき、特定の形態です。「シノドス」には始まりと終わりがあり、「シノダリティ」は今日の教会の宣教スタイルです。多くの「シノドス」は、おそらく「シノダリティ」なしで開催されました。(本文のまま)
簡単に言えば、シノドスは会議のことで、シノダリティーは教会の生きざまということになる。次の言葉はかなり辛辣。多くの「シノドス」は、おそらく「シノダリティ」なしで開催されました(本文のまま)。乱暴な言い方になるが、これまでの会議は頭のレベルでなされたということになる?
これは、教会の指導者たちだけの問題ではなく、公教要理を知っていることと信者らしい生活とは別物だということを認識する必要がある。つまり、頭だけの信仰になっていないか。つまり素朴に単純に主の気持ちに触れ、答えようとしているかという課題が教会には突き付けられている。野戦病院的教会になっているかということではないかと思うが。次号に続く。
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