静止画が動画に変わった!奄美・沖縄カトリック宣教史の読後感だ

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カトリックと茶の湯

去る26日(日)四旬節の黙想会にお招きした終身助祭四條師が提供したテーマだ。パワーポイントによる50数枚のプレゼンは興味深いものだった。あ、今日の話題はそれではない。

したたかに生きた宣教師たち

実は、その前日師から手渡されたのが表題の本。「推薦文を書かれた本です」みたいなことを言われたがピンと来ないままテーブルに置いたままになっていたのだが、喜界島ミッションに向かう師を送り出して手に取ってみたら、なんと著者がハルブ神父になっているではないか!

ハルブ神父様は母方の祖父が薫陶を受けた司祭でわが故郷の教会を建てた神父さん。以前神父様の伝記を読んだことはあるが、神父さんの書き物があったことに驚いた。当時の宣教師たちがこまめに報告していたことは知っていたが。現在通読中の「カトリック琉球列島ミッション」にはない記述も多く一気に読んでしまった。

奄美のバナナはハルブ神父様が沖縄から持ってきたものだという。中でも驚いたのは、あの信徒発見(1865.3.17)のプチジャン司教様が鹿児島にも来られたとは!それも、琉球列島の宣教が目的だったという。実際は病気のため島に渡ることは叶わなかったらしいのだが。これまで見ていた静止画が突然動画に変わったような驚きだ。

ハルブ神父様は1919年8月に島を離れたが、それまでの27年間で信者の数は徳之島も含めて3774名になっていたという。ちなみに、4年後の1923年8月の徳之島を除いた信者総数4057人に達した。英語の分からないフェリエ神父様がアメリカ人の講演会で通訳として語ったのは公教要理だったという笑い話もある。バレなかったどころか聴衆は大いに感銘を受けたというから、当時の宣教師のしたたかさというか役者ぶりに脱帽だ。

フラワーパークのシャクナゲ

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