新しい生活様式とは?
今回のコロナ禍に直面して政府は”新しい生活様式”ということを言い出したが、それは三密を避けてテレワークを進めるというこれまでと違う生活様式のことだけを考えて発信されている感じだ。そんなレベルを悠然と超越するかのように人々の善意が毎日のように報じられている。政府が、そんな善意を汲み取って評価し推進しようと呼びかけたらどれだけ上質な政治が始まることかと思う。望むべくもないことだが。そんな中で、今朝の新聞の記事は次のように結ばれていた。「・・・今こそ、軍事、経済最優先の社会から脱して、温暖化対策や医薬開発などに巨額を投じるべきだろう。このように考え方の転換をしないと、人間は生き延びられないと思う。」新型コロナと文明「愚かな戦争繰り返すのか」南日新聞11面の囲み記事より。こんな声がもっと大きくうねりとなって政府に届けるこはが出来ないものかと思う。検事の定年延長論に反対する書き込みが数百万にも上ったように。
ちまたの預言者
「幸せになるためには、獲得し、所有し、消費することを続ける必要があると信じ込ませ、説き伏せる物語がどれほど多くあることでしょう」(世界広報の日教皇メッセージーカトリック新聞第4528号より)。私たちは進行中のその物語の渦中にあると言っていい。昨年わざわざ来日されて日本の政治家や国民に語られたとしても、そしてこのコロナ禍といういわば国難の中にあっても新しい価値観に目覚めようとしない日本の社会に失望の念を深めたくなるが、上記のインタビュー記事の当事者のようなちまたの預言者に期待したい。
野の花を見よ
なぜ衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか注意してみなさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ神はこのように装ってくださる。ましてあなたがたにはなおさらのことではないか。だから「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」と言って思い悩むな(マタイ6.28-31)。脈絡もなくこの箇所が思い浮かんだので記すことにした。「どんな物語も、たとえ誰からも忘れられたものや、滅裂な文で綴られたように見えるものであっても、聖霊の働きによって導かれ、傑作となって息を吹き返し、福音書に添えられる物語となることが出来ます(同上教皇メッセージより)。コンテキストは違うかもしれないが短絡的な断罪は慎みたいとは思う。何を言いたかったのか自分でも思いが定まらない土曜の昼下がり。白昼夢?
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