西郷さん賛歌第二弾-実は預言者エレミヤを知っていた?

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バビロン捕囚

これでもかとまた出した

これでもかとまた出した

エルサレムはしばしば外敵の脅威にさらされた。極め付けが、ネブカドネツァル王によるバビロン捕囚だ。その時活躍したのが預言者エレミヤ。彼は、民に向かって悔い改めを説くが、人々は聞く耳を持たない。エレミヤは一貫して、ネブカドネツァル王を「神のしもべ」と呼んで、いずれ、神が彼らを罰してくださるから、今は彼の手に落ちたほうが得策だと説いたという。しかし、人々は、「我々にはエジプトが味方になってくれる」と言ってエレミヤを強引にエジプトに連れて行った。その後の消息は定かでない。

薩摩のエレミヤ

話は、2500年下って明治初期。西南戦争をめぐって西郷さんはなぜ無謀とも思える戦争をしたのかとの疑問は依然残っている。しかし、西郷さんは新政府に不満を持つ薩摩の武士たちが政府の弾薬庫を襲撃して武器弾薬を奪ったという知らせを受けて「チョッしもたっ!」と絶句したという。そのことと、武力による異国支配に反対した反征韓論の立場を考え合わせると西南戦争には基本的に反対だったといえる。ではなぜ、立ち上がったのかについては、前回紹介した「西郷隆盛と聖書」の著者が述べている。一言でいえば、漢文の聖書を熟読していたという立場から、不本意ながらも人々に寄り添う選びをしたと言えるかもしれない。だから、エレミヤの心境だったのではないか。「いや、きっとそうだったに違いない!」と言うのがボクの結論。

県を上げて検証を!

大河ドラマせごどん以降の課題は「西郷さんは征韓論者ではない」ことを周知徹底することではないのか。ドラマで十分検証されたとは思うが、公式の見解としてはどうなのか。個人的には、「西郷さんは征韓論者ではないという新しい見解があるそうです」と聞いてびっくりしたのはつい10年ほど前。もっとも、ボクが知らないだけで、大半の国民はとっくに分っていることなのかもしれないが。もう一つは、西郷さんの実像の解明。県としては「西郷さんは聖書に親しんでいた」などという見解を公表することはないとは思うが、一行でも触れておくべきではないか。HPで公表すれば、鹿児島の偉人西郷さんを世界に対して広く紹介することになる。自治体にも西郷さんの度量の大きさを望みたい。

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