二つの謎が解けた
ふとしたことから「西郷隆盛と聖書」(守部喜雅著いのちのことば社1200円+税)という本と出合った。大河ドラマ「せごドン」で西郷隆盛がいかに偉大な人物だったかということの片鱗を見たように思う。片鱗と言ったのは「たまにしか見なかった」から。しかし、この本を読むことで西郷さんの実像が浮き彫りになるようで胸のつかえが解消した。一番疑問に思っていた、月照との入水自殺未遂事件。男同士が無理心中?武士らしくない、出家した人らしくない。ドラマに出てくる月照の言動が偏見の度合いを増幅させた。もう一つは、世界の動向を見据えていたはずの西郷さんがどうして不満分子の肩をもって新政府に立ち向かうような戦を起こしたのか。この2件に関して著者は、「どちらの事件においても他者の哀しみを自らの哀しみとして行動を起こした」(113頁)と結論付けている。どういう意味か。
聖書を熟読した
最終章には、2017年、著者からインタビューを受けた1人の信徒Tさんの証言が紹介されている。それによると、西郷さんと先祖が出会ったのは西郷さんが18歳の時だったという。その後、幕末を迎えたころ西郷さんは30代。そのころ、ひいおじいさんが西郷さんから聖書について学んだ。Tさんが社会人になり兄のことで悩んでいた時、たまたま目にした姉上所有の聖書に目が留まり、ついに洗礼を受けるまでになった。Tさんは次のように結んでいる。「私にとって西郷さんは信仰に導いてくれた恩人とでも言える人なんですね。」イエス様の心に触れた西郷さんは誰も恨まず、裁かず義を貫いた。やはり偉大な人だったと思う。
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