難産?会議

全国から25名の担当者が参集。昨日からの会議の共通議題はいつくしみの特別聖年。司祭たちは、使徒的勧告“福音の喜び”をはじめ大詔勅“イエス・キリスト父のいつくしみのみ顔”を読んでいると思われるが、その割には元気が出るような反応はなかった。「信心にはなじまない」という明確な拒否反応もあったほどだから、多かれ少なかれ、誰もがどことなく戸惑っている風で、取りつく島もない感じにも見えた。

教皇は“民間信心が持つ福音化の力”(福音の喜び#122見出し)と題して、ラテンアメリカ・カリブ司教協議会総会の文書を引用しながら、民間信心について次のように述べておられる。神の「民はつねに自分自身を福音化する」ので、「民間信心が重要になります。民間信心は神の民の自発的な宣教活動の真の表現です。それは、聖霊が第一の主体となって働き、つねに成長し続けている現実のことです」。だから、「不安になる」必要はないと思うのだが。

もっとも、大詔勅に信心の話は出てこない。しかし、折しも、聖ヨハネ・パウロ二世が「現代のための神の贈り物」と評価された聖ファウスティナによる神のいつくしみのメッセージに基づいた「神のいつくしみへの祈りの花束」のカードと信心の勧めが大使館から届いたことを受けて、鹿児島教区としては是非推進したいと思った。

知的な営みに長けた主任司祭の多くは教義による武装を第一とするが、民間人である信者たち神のいつくしみを学び生きる年となるように。にとっては知的なことよりハートに来るか来ないかが大きな関心事だ。シノドスでも、教義と司牧の葛藤が論じられたそうなので少しホッとした。教義という正論ばかりがまかり通るのでなく結論は出なくても超教義 的発想のできる司教さんたちがいたことが分かったからだ。

いつくしみの聖年の大詔勅をかざしながら「聖年の門を作ろう!」と声をかけると「それはいい、作ろう作ろう!!」と乗ってくるのはやはり民間人かと思われるのだが。ともあれ、この二日間、くたびれるほどに話してきたのでもう何も言うまい。聖年開始の12月8日まであまり時間はないのだが…。小教区で主任司祭たちが民間人たちとどんな取り組みができるか話し合ってくれるのを静観したい。あ、そうそう、カテドラルでの開始ミサは12月13日(日)‐待降節第3主日‐午前9:00。

カリタス・ジャパンの全国担当者会議と同時開催となり司祭集会はザビエルホールに避難。前回の社会司教委員会主催の勉強会といい、このところ鹿児島教区は全国づいている。

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