教区の明日を探る
教区評議会࡛。信徒を交えての分かち合いは2年ぶり。福音宣教の前線基地としての班制度が導入されたのはかれこれ30年にもなろうか。2年前の評議会のテーマ「班制度の活性化」を受けて、今回は、福音宣教の視点から班制度がどのように機能したかを検証し、希望できる実践は何かを探ろうというもの。午前中は地区ごとにグループに分かれ、小教区の現状の分かち合い、午後は地区を縦に割ったグループでの分かち合いがなされた。いずれも興味深いものがあった。最も多く聞かれたのは祈り。信仰の伝達で重要なのは「親が子供に祈る姿を見せること」との指摘は普遍的真理。興味深かったことが2つあった。
再び巡礼のすすめ
1つは、姶良教会の巡礼効果。5月には韓国、9月には五島。2つの巡礼を通して参加者たちが目にしたのはそれぞれの地における信者たちの熱心な姿。刺激を受けた参加者たちから期せずして「もっと要理の勉強がしたい」気運が高まり、早速、教理の勉強が始まり、求道者のクラスも始まった。それだけではない、定期的な聖歌の練習も始まってこれまで沈滞気味だった教会がにわかに活気付き、信徒会長はフル回転。数年前、「巡礼のすすめ」をしたことがあるがやっと日の目を見たようで嬉しい。
日比混成教会
そういえば、那覇教区の信徒数が5,000台から6,000台に増えた理由は子供を含めたフィリピン人たちの地元教会への取り込み?に成功したからだという。これも長年言い続けてきたことだが、鹿屋教会ではあっさり成功している。しかも、ミサ前、庭先で遊んでいる十数名の子供達が、堅信を受けるフィリピン人8人の子供たちだったと知った時はおもわず声を上げたものだ。これこそ長年おもい描いていた「日比混成教会の姿を見た」と思ったからだ。
出来る事をしよう
姶良教会といい鹿屋教会といい共通しているのは音頭をとる司祭がいずれも韓国籍、しかも叙階3〜1年の新米司祭。ここにきて、韓国司祭団の本領発揮といきたいところだ。高齢化の問題は日本の現実。しかし、高齢化を嘆くのでなく、その現実を受け入れ、高齢者にしかできない事があるから「出来る事をしようではないか」という呼びかけのような発表は多くの共感を呼んだ。
蛇足
午前8時前、ブログを書きかけたところに「大野神父さんが亡くなりました」の訃報。午後の面談を急きょ繰り上げてもらって奄美へ。弔問と主任司祭との面談を終えて兄宅へ。缶ビール片手にブログ完成。
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