はかり綱は私のために良い所に落とされた。私の受けたものは素晴らしい

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青天の霹靂

物静かな祈りの人ちょうど一週間前の4日(木)朝のミサ後7:40分過ぎ、専用チャペルのドアを遠慮がちにノックしながらアン神父さんが顔をのぞかせた。「大野神父様が亡くなられました。」青天の霹靂とはこのことだ。思わず立ち上がり部屋に戻った。主任司祭の携帯を鳴らすと前日入院したばかりの病院で、遺体を地区長館に運ぶ打ち合わせの最中だった。すぐに飛んでいきたかったが、玉里教会での堅信式が気になった。「ボクもそのうち行きます」と言って電話を終わろうとした。しかし、「今日でもいいですよ」という主任司祭の予期しない言葉に面食らった。一瞬パニックになったものの、「そうか、今日行って家族に会うだけでいい。そして明日帰ればいいのだ。」アッサリ心が決まった。それにしても、なんとアッサリ逝ってしまわれたものか。

たった一日の入院

聞くところによると、2日の早朝、「呼吸が苦しそうなので」ミサを休み、病院に行くと心臓に水がたまっていることが分かり、治療の手筈を整えて一日様子を見ることに。かつてテニスコートで走り回った健脚も今は昔。最近では杖を必要とするほどの不自由さを強いられていた。体重計に乗る姿も見るからに危なっかしい。「一人で大丈夫ですか?」思わず看護婦さんが声をかけた。「なんのこれくらい。ボクは運動選手なんだぞ。」現在形なのがいい。そんな和やかな入院の始まりだったというのに、翌朝6時の巡回時にはすでに呼吸はなく、40分に及ぶ人工呼吸にもかかわらず旅立ってしまわれた。享年90歳の大往生。

はかり綱はよい所に

2011年、司祭叙階50周年を記念して出版した「みことばに生かされて」の中に「…古い自分に死んで、主の道具となって働きつくすことこそ今の私たちの使命…」という一文を残されたが、前日まで祭壇に上り、文字通り「働きつくされた」姿は信徒をはじめ後輩の司祭たちにとっても大きな証し。因みに、記念の御絵のみことば「はかり綱は私のためによいところに落とされた。私の受けたものは素晴らしい」(詩16)はボクの司祭叙階25周年の時に選んだのと同じ。生前に分かっていたら、会食事の話がもっと霊的になっていかもしれない。「司祭にならないか」「ハイ」、「ローマで勉強しなさい」「ハイ」。すべてにハイの「ナレカシ」を生き抜かれた。

司祭職に引退はない

地区長官横に埋葬引退後も、多くの求道者を導かれ、二人の司祭と二人の現役神学生の生みの親でもある。同じ奄美出身でもあり、二人目の主任司祭として4年間指導を受けた者としてことのほか懐かしい。堅信や小教区訪問で奄美に行くときは夕食を共にしながら、教区のことなどあれこれ話したり聞いたりするのを楽しみにしておられたものだ。帰島の楽しみが一つ減った。

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