ツービエン(知本)温泉での”プユマ族の皆さんの日本文化”との衝撃的な出会いの後で待っていたのはアミ族の皆さん。
地名は長浜(ながはま)でも丘の上の教会はなぜか宜湾(イーウァン)教会。主任司祭は叙階7年というやはりアミ主日のミサは司教様。小ぶりの聖堂が約60名ほどの信者で溢れた。左は女性、右は男性と、子供の頃の故郷の教会と同じ。違うのは、聖歌を歌う声の大きさ。さらに違うのは、男性の声の大きさだ。教会で元気なのは、どちらかといえば女性。ここでは、男性も負けていない。
ふと、故郷のタネオロシにタイムスリップした。家々を巡って踊りを披露し、お酒とともにご馳走が振る舞われ、村の活動資金ともなるハナ(寄付金)の披露がなされて次の家に向かう。ツィズィン(小太鼓)を手にした婦人たちと男性が輪になって交互に歌いながら踊る。男衆の力強い歌声が村中にこだまし、子供から大人至るまで村人の血を湧き立たせ、踊りは深夜に及ぶ。
つい話がそれたが、聖堂にこだまする男性たちの力強い聖歌の響きと哀愁を帯びたメロディーに身を任せていたらつい、子供の頃のタネオロシの光景が蘇ったのだ。
ともあれ、ミサの奉仕はアミ族の衣装を着た侍者一人に聖体奉仕者二人、ぞれに朗読の女性。きちんと養成されているようだった。当日は地域の収穫祭と重なっているということで、ミサ後庭先でみんなで踊った。いずこも同じで、黙って見ていると、やはり輪の中に引っ張り出された。素朴な踊りだが、足さばきが問題。
間もなくお昼となったので助かった。海沿いのレストランに移動してのお昼は海鮮料理。ビールにコーリャン酒、ソフトドリンクが当たり前のように次々と運ばれた。後日、「台湾の人は食事中酒を飲まない」ときいたが50年にも及ぶ日本統治の影響で?原住民社会は別らしい。(続く)
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