鴨池教会に限ったことではないが半日黙想会の問題と意味

黙想会再考

鴨池教会正面横の被昇天の聖母

鴨池教会正面横の被昇天の聖母

まるで何かの論文のタイトルみたいだが、昨日の鴨池教会四旬節黙想会に行ってみて改めて思うことだった。というのも、このところ、招かれる季節の黙想会はどこも半日。9時から11時半ごろまでと相場が決まっている。ただ、みこころ教会は土曜日の晩から翌日昼前までと二日にわたってなされた。たしかに、教会周辺に信者が少ない街中では、高齢者にとって、何度も教会に足を運ぶのは容易ではない。その点、みこころ教会の場合、周辺の信者人口密度は鹿児島よりはるかに高いので恵まれている。

黙想会は3日間

どうして、こういうことにこだわるかというと、先月、五島三井楽教会での黙想会に招かれたことが大きい。高齢化は全国津々浦々普遍的な現象でも、三井楽教会の黙想会は3日間。午前と午後の部に別れていて巡会教会は午後7時から9時、本命の三井楽教会は午前9時から11時半ごろまで。確かに高齢者が多かったが、男子高校生が2人最前列にいたのは印象的だった。それはそうと、話を元に戻そう。教会までの距離が問題なのは分かるが、季節の黙想会はやはり3日という従来のパターンを回復できないものか。まずは、四旬節、待降節の黙想会の位置づけというか、価値の再認識が必要かと。まさか、不要論はないと思うが、「高麗化が進んだので3日は無理」と誰が決めたのか。継続する方策を何とか講じることはできなかったのか。子や孫に運転を頼むとか、信者有志で送迎にあたるとか。そういう自分の過去を振り返ってみても、3日間の黙想会を主催した記憶がないのはどうしたことか。ともあれ、今度の日曜日、そんな話題を出してみたい。いずれにしても、大事な時期に半日でお茶を濁している感じがしてならない。司祭には楽だが。

ミサ説教音声

 

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