慈しみ
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聖堂入り口横のバラ
と言っても、会衆は4名のベトナム人と10人ほどのフィリピン人で半数近くが漢字文化ではない信者なので、この人たちには無意味なこだわりでしかないのだが。慈にはもともと「増える」という意味があるらしい。真ん中の糸に似た二字が草冠と一緒になることで、草木がたくさん増えるさまを表すという。藤堂明保先生の漢字語源辞典より。慈しみはここまでにして福音に行きたい。少しややこしくなるが、今日の福音からなんとかこの慈しみに持っていけないかと苦労した。というのも、どういうわけか、いつの間にか録音画面が変わっていて音声録音に失敗したものだから文字にしてしまおうというわけ。外国籍信徒にはつらい時間だったかも。
信の真意
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教会近くの民家から伸びてきたカズラ
今日の福音には信の字が7回出てくる。だから、キーワードは信と決めた。同じ語源辞典によると、信には「速やかに進行する。スラスラと進むようないつわりのない言行のこと」とある。主が御出現されたとき、トマスはいなかった。だから、他の弟子たちとの会話がスラスラ進まなかった。しかも、「釘跡に触れてみなければ、…決して信じない」と譲らない。ヨハネは言う。「これらのことが書かれたのは、あなた方が、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、…」。「信じてイエスの名により命を受けるためである。」「信じるのは命を受けるため。」ここに神の慈しみがある。つまり、神様との関係がスムーズにいって、自分だけでなく、私たちが出会う人々も命を得るようになるため。
命の真意
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純心のシスターによる復活の主
命は祭司が被り物をかぶって神の意志を聞こうと身をかがめている姿。命をくださった神様の望まれることを生きようとするとき人は本当の意味で生きることになる。そんな人が一人でも増えてくれればいいというのが御父の願い。これが御父の慈しみ。その人がその人らしく輝いて生きることが慈しみの神の夢。命は輝くためにある。怒涛の受難の日々の後にやってきた復活こそ、御父からの全人類への希望のメッセージ。復活の主の輝く姿は私たちの未来への担保。そこに御父の慈しみが隠されている。アンマリピンとこない?ともあれ、来週のミサでは、主の祈りをフィリピン語、ベトナム語、日本語の3ケ国語で順番に歌うことになった。
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