新語考案
今朝の南日本新聞二つの記事には大変興味深いものがあった。先ずは、多士才々というラム。まず目にとまったのが「現象学者」という著者の肩書き。何かの現象を研究する科学者かと思ったらまだ若い哲学者だった。どんなことにしろ、「自分の問題として引き受け、考えることが重要」という立場には共感した。大学の先生のようで、例えば、「性差を考える」授業では、性差を意識した自分の体験をまず話すのだという。そうすると、「学生が自分の経験に立ち戻って考え出す」のだという。そうでないと、「冷ややかな傍観者になりがち」という警告も心に響いた。なるほど!そこで、「現象学的説教」なるものが司祭には求められている。「自分の信仰を自分の言葉で語る」ボクの信条に合致したワケ。哲学者=頭でっかち。偏見が崩れ、脱帽。
そういえば・・・
二つ目の記事は、あの小泉環境大臣の期待外れの話。38才という若さと親譲りの歯切れの良い自由闊達な物言いが、閣僚になったとたん色あせたのだという。そういえば、地球温暖化を巡る会議では、各国の支持を得られず「化石賞」という人を馬鹿にしたようなありがたくない賞をもらったのも記憶に新しい。国内政治でも期待を裏切ってばかりらしい。野党議員から「自分の言葉で」と促されても、官僚が書いたメモを読み上げることに終始したという。上記の哲学者に師事したら良いかもしれない。それよりも、コロナ騒ぎが収まったら、司祭の黙想会に彼を講師に招いたら良いのではないかとマジで思う。
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