信仰のふるさとガルスに眠る恩人たちの墓参に感極まった巡礼者たちの心にしっかり刻まれた

信仰のふるさと

ガルス修道院全景「信仰のふるさと」と聞いて人は何を連想するだろうか。そういう自分もコレと言える何かがあるわけではない。ただ、今  回の巡礼で感じたのは、鹿児島に派遣された司祭たちが育てられた揺籃の地で墓参をし、ミサを捧げたことで実感したのが、「ガルスは司祭たちだけでなく徳之島をはじめ鹿児島教区の人々にとってもふるさと」なんだということだった。もちろんこれは、全く個人的関わりの問題なので公式の見解と言えるものではない。

個人的は真実

昨年6月亡くなったフリチェル神父様の墓標端的に言って、レデンプトール会の司祭たちのほうがボクには馴染みが深い。たとえ、叙階後の2年間はコンベンツアルの司祭たちとの生活だったとは言え、自分の司祭生活の原点を指し示してくれたのは今回の巡礼の最初の訪問者ハヌス神父さんだったからだ。叙階前の夏休み、助祭実習ので派遣された先が出水教会。主任司祭がハヌス神父さん。彼との1ヶ月はかなりハードなものだった。キャシャな体で疲れを知らない動き回る司祭で定評があった。病院訪問は言うに及ばず、教区外であろうと羊を探して片時も休むことはなかった。車の走行距離は、半年間で1万キロをオーバーした。これは、通常の2倍。人々のために骨身を惜しまない姿は良い羊飼い(ヨハネ10章)の姿と重なった。「司祭はこうあるべし。」深く刻まれた司祭像だ。個人的体験こそ真実。

あのこともこのことも

メニヒ神父さんの故郷は香川選手のドルトムント。こんな風な農村が広がる。そして、叙階後3年目にして出会った メニヒ神父さんとは、第二バチカン公会議後の教会の姿を啓蒙する「よりよき世界運動」の鹿児島支部みたいなものに数年関わった。この活動を積極的に支援したのもレデンプトール会の司祭たちだった。彼らの活動の拠点である谷山教会はなんとなくアットホームで羨ましかった。そして、欠席は多いが「電話で祈る会」を主宰するのもレデンプトール会のキッペス神父さん。レデンプトール会の宣教は徳之島、谷山、北薩 地方に限定されてはいるとはいえ、偉大な恩人には違いない。そのことは、そのまま鹿児島教区にとっての信仰のふるさと的存在と言っても過言ではない。

ガルスの1日

右は堅信、左は初聖体を受ける子供たちの作品。今日は、そんなガルスを地下墳墓に至るまでくまなく案内してもらった。 地上数メートル に据えられた天蓋付きの説教壇体験も貴重なものだった。かなり大きな聖堂だったが、1番遠いところに着席しても普通に声が通ることに驚いた。おかげで高みから 臨む信者席が想像以上に遥か遠くにあることにも驚いた。修道院提供の昼食後、会報出版の任にある司祭のインタビュー小一時間。雨の予報にもかかわらず快晴の帰路に感謝。5時半ホテル帰着。明朝7時、1人だけ先に空港へ。

説教音声

 

 

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