主任司祭代行
今日は、主任司祭入院、助任司祭よその教会の主任司祭入院のため代行に、事務局長司祭は大槌ベースの閉幕式典にとすべて出払い、残ったボクが主任司祭代行というわけで7時のミサに9時のミサと、おかげで、久しぶりに多忙な主任司祭を体験した。7時のミサはあの狭い聖堂一杯で驚いた。説教も、どうしようか迷ったが、歴代誌から。我ながらとりとめがなかったので、9時のミサでは、エフェソ書からに変えた。明光学園の卒業式でも話した、「私たちは神様の作品」。説教の後、朗読奉仕者の認定式と祭壇奉仕者二人の選任式。上記の理由で、緊急に終身助祭が呼び出されて式長を務めることに。緊張したと思うが、それほど複雑な式ではなかったので何とかクリアしてくれた。ともあれ、前者には聖書が、あとの二人にはホスチアを載せたパテナ(聖体を伸せるお皿)が手渡された。
司祭職への一歩
認定式と選任式。認定と選任、似たようなものだが、選任式を受けた人は、1年後助祭叙階が待っている、という点ではやはり重みが違う。昔というか、我々の頃は、神学部1年生の夏休み前に着衣式があって、スータン(司祭用の長い黒の僧服)の授与がなされた。その時確かトンスラ(剃髪式)があって、前髪をチョキンと切られた記憶がある。「この世を捨てます」という意思表示だと教わった。実際には、世を捨てるどころか、今だから言えるが、退学処分となる理由の一つとされた「自室で飲食したる者」を深夜にやったものだ。ともあれ、その後、守門、要するに門番、祓魔師(ふつまし=悪魔祓い)、侍祭(じさい)、副助祭ときてローマンからの着用が求められ、4分冊の分厚いラテン語の聖務日祷書を渡された。司祭職が視野に入って「いよいよ来たか」と高揚した気分に浸ったものだ。その翌年助祭となって、1年後の春、各教区に戻っての司祭叙階というのが一連のながれ。基本的には今も変わらない。
道のりは簡素化されない
このように、司祭に至るまでいくつかの通過儀礼があったが、公会議後刷新され現在の簡素化された分かりやすい形になった。朗読奉仕者、祭壇奉仕者、助祭、司祭。課程は簡素化されても、司祭職への道のりは簡素化されえない。今日祭壇奉仕者に選任された二人は、早速、聖体授与の大役を果たした。神学校に戻ったら毎日のミサで当番が回ってくるに違いない。こうしたことを繰り返していくうちに司祭職に大きな一歩を踏み出していることを実感できるようになるはずだ。頑張ってほしい。今日は、東日本大震災から7年目。共同祈願でもお祈りがなされた。
コメント