3人との再会で気持は鹿児島
鹿児島-羽田-ミュンヘン、13時間ほどにも上る長旅だったが思ったほどの疲労感もなく一同元気でミュンヘンに降り立つことができた。外に出ると、休暇中のメニヒ神父さんと総会のため数週間前にミュンヘン入りしていたシスターモニカとシスター澤が迎えてくれた。頼もしい助っ人の登場に一安心。ホテルでの夕食にも同席してもらい、久しぶりの歓談を楽しんだ。10時ごろ3人を見送り部屋に上がった。
おもてなしの心とは?
洗面所には歯ブラシ、髭剃りの類はなく、シャンプー石鹸など必要最小限のものだけがあって少し意外だったが、階下のスーパーでは買い物袋はなく持参が当たり前だと聞いて納得。この合理性こそ日本にないもの。国を離れ、こうしたことを見聞きするにつけ、日本の過剰サービスは異常としか思えない感じがしてくる。日本の美徳である「お・も・て・な・し」の純度を高めるためにも環境に配慮した国民的発想の転換が広く求められているように思えてならない。もっとも、この過剰さを喜ぶガイジンもいるかも知れないので難しいところではあるが。
記憶の彼方から
明けての今日は、まず巡礼の第一の目的であるハヌス神父様訪問と感謝のミサのため9時出発。予定よりも30分ほど早く11時開始。神父様はミサの司式は無理ということで、かつての信者たちと同席。ミサ前の交流会では、当初、日本語が出てこなくてお互い戸惑ったが、入れ替わり立ち替わりお土産を差し出しながら話しかけているうちに日本語での応答が可能になった。記憶の彼方に行ってしまっていたかつての愛する信者たちの顔と名前が一致してきたことで一同は歓喜に満たされ、1時間があっという間に過ぎた。「ボクは郡山司教の友だち」と周りに嬉しそうに話しておられたというわりには、しばらくは不思議そうに眺めておられたので心配したのだが、そのうち、ボクの顔を 直視しながら「いつも元気、いいね」と言って肩を叩かれた。すっかり正常化したようでホッとした。
老人ホームは別荘
ところで、「説教も通訳なしで」ということだったが、スタッフのシスターたちも10数名参加していたこともあって急遽、シスターモニカが通訳に立ってくれた。「森の中の療養所」。神父様が80人ほどのお年寄りと生活いる施設の名称だが、早い話が老人ホーム。かつて、結核患者のための施設であったことからこうした呼び名が残っているのだという。野鳥がさえずり、小さなリスが木々の間を動き回る美しい広大な森に抱かれ、そんな森を臨む部屋の間取りはまるで別荘地のペンションを思わせる瀟洒で、思わずみんなが「わースゴーイ」と声をあげたほどで、日本の老人ホームが色褪せて見えた。この豊かさ感の落差は何なのか。またしても、豊かな国日本の豊かさの貧弱さだけが思われた。(つづく)
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