一人の信仰者として
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酷暑の中逞しく開花したトックリラン
「聖職者が政治的発言をする」と気に触る人がいるかもしれないが、福音を生きようとする一人としてやっぱり言いたい。ともあれ、8月になると毎年沖縄の基地の問題が話題になる。日本にある米軍基地の70%があの狭い沖縄にあると聞けば、沖縄の人でなくても理不尽さに声を上げたくなるのは当然だ。20年ほども前のことになるが、現地での平和学習会に誘われて2回ほど参加したことがある。最後の時間に、「では、私たちはどうすればいいんですか?」と聞いた。「こうして、話を聞いてくださるだけでいいんです」という返事にどこかホッとしたような、気が抜けたような感じが20年ほども続いている。その間特別の行動を起こしたことはない。
痛み分け
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昨日、美島神父さんの遺品発見
だから、あんまり大きなことは言えないのだが、「沖縄の皆さんの負担を少しでも軽くしたいので、基地の一部移転の件、どうぞうちに来て下さい」という自治体はない。どうしてだろうと思う。「痛み分け」とは「互いに損害を受けたまま引き分けること」と広辞苑にはある。しかし、現状を見ると「自分たちは不利益を被りたくないからまっぴらごめん。どうぞ沖縄の皆さんだけで頑張って下さい」と言っているように見える。
丸腰になる
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お世話になりましたので・・・
喜ぶ人と共に喜び、泣く人共に泣きなさい」(ロマ12.15)というパウロのすすめがある。「すべての人と平和に暮しなさい」(同18節)とも続ける。教会が説く平和は武力の均衡ではないという。だったら、軍備撤廃、基地廃止、日米協定廃止しかないではないか。そんな丸腰政策を打ち出す政治家は出ないものか。「出るわけがない」とすれば、せめて「痛み分け」の出来る政治家が出なければ。ミサ後ベトナムのNさんが神奈川に発った。鰹節工場からサンドイッチ工場に移る。「おみやげ」に涙がでた。頑張って欲しい。
年間だ19主日ミサ動画
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