「アー貴方でしたか!」待ってた人ではなかったのでがっかり。正直と言えばそうだが、久しぶりなんだからもう一言あってほしかった。「アーコレです!これです!」喜びを正直に表明するのはいいとして、4階まで駆け上がって、頼まれたものを探し出し、喜び勇んで駆け下り、「ありました!」と差し出したボクに労をねぎらう一言があってもいいのではないか。
あ、意味不明のことを述べ立てていると思うかもしれないが、いずれも、今日納骨式を済ました神学校の恩師であり院長であったカナダ人司祭の、決して忘れることのできない遥か昔の思い出だ。
あ、そうそうまだあった。「あなたは笑うために神学校に来たのですか?」食事の時の笑い声が大きすぎるという注意。これは深く反省。「旅行先で必ず記念品を買う人がいます。そのうち部屋が記念品だらけになります。司祭には止めて欲しい。」司祭が物持ちになってはいけないという講話の時の注意。かつて奄美に転勤したとき、「ホンダの大型スクーターを含め、貰い受けた軽トラ一台分。」自慢げに語りながら、司祭たちに身軽な転勤を推奨しているのはその時の忠告があるからだ。
最新の思い出は、3年前だったか、卒業生の司教5人と共にカナダの修道院を訪問したときのことだ。車いす姿には胸が痛んだが、ボクの顔を見るなり「あなたは英語が話せないでしょ。」「ハイ!」神学校時代が一気によみがえったものだ。
「理性の塊。」嫌味も込めて神学生時代は彼のことをそう評価していたが、司祭養成に関してはなみなみならぬ情熱の持ち主だったことを今日のスルピス会管区長の挨拶で知った。
また、20人ほどが神学校の近くに住む音楽家にピアノを習っていたが、「司祭には教養が必要」という彼の持論によるものだったと大司教さんの挨拶で知った。ちなみにボクはバイエル73番で挫折したが、大司教さんは立派な弾き手になった。
そんな彼が院長時代の11年間に司祭になったのは66名。時代とはいえ立派な業績?だ。
主よ、永遠の安息を神父様の上に。
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