会議中なのに?

WYD開催地クラクフから大司教がポーランドキャンペーンに来られた。司教会議なのにどうして箱根?そんな疑問と不信を恐れながらそれでも書くのは何故?

話せば長くなるが、神学生になったばかりの年だから62年も昔のことになる。当時、福岡の神学校では慶応の通信教育を受けることになっていたので、夏休みになるとマリア会の暁星学園の寮に寝泊まりしながら三田のキャンパスでの40日間にわたるスクーリングに通ったものだった。当時の鹿児島教区の司教様の兄上がマリア会のブラザーだったこともあって、1日箱根観光に連れていてもらったことがある。

実は、司教会議が1日早く終了したものだから、講演旅(こうえんたび)、つまり講演の合間にする小旅行の達人が声を上げた。実は、見舞いの予定もあったのだが、我が楽しみを優先してすぐに乗ったワケ。しかも、当初予定していたMEの仲間が主催する祈りの集いをキャンセルしてのお見舞いだったので結果的には2つの裏切り行為となるので幾分の咎めは感じたものの決行した。60数年前の遥かな記憶が眼前に蘇り言い知れぬ懐かしさに抗うことができなかった。

「弟司教からオモテナシ宜しくとの電話があった」ということで、タクシーでの豪華オモテナシだったが、その時初めてゴウラという耳慣れない響きの地名を知った記憶がある。そういうわけで、達人の口から宿泊先が中ゴウラだと聞いたことも心をオニにするのに力となった。ここまでが言い訳。

今回は、一行四人で、電車を乗り継いでの講演旅ならぬ会議旅。運転士と車掌さんが3回も入れ替わってスイッチバックを繰り返す可愛い登山電車は楽しかった。若い女性車掌さんは、乗客が楽しんでいるのに応えるかのようにニコニコの入れ替わりをこなしている姿は、さすが天下のケンの名高い観光地の品位かと。一方男性運転士はベテランらしく手慣れた様子でルーティンをこなしていた。迎えのバスで中強羅の宿に落ち着いたのは予定より30分遅れの5時過ぎ。

芦ノ湖船乗り場遠景。明けての19日は、先ず、急斜面をゆっくり上がるケーブルカーを堪能して芦ノ湖までのバスに乗り換え、途中下車してロープウェイの駅まで歩いた。雪に覆われた富士山に歓声を上げるなか芦ノ湖着。湖を周遊する”海賊船”は、英語に中国語、それにタイ語らしき言葉が飛び交い大混雑の大賑わい。下船した箱根町があの箱根駅伝のゴールだときいて驚いた。改めて振り返ると、ゴール付近のテレビの映像と重なって、ささやかな発見の喜び。バスは、駅伝コースの復路をまるでなぞるように進んだ。テレビで見たのと同じ道路かと思われるほどの狭さに驚いた。箱根湯元からは、60数年来の憧れ、小田急のロマンスカーで帰ることに。当時見たロマンスカーは高級列車で、しがない神学生にはその秀麗な姿を見ただけでニュースになるものだった。今回のものは外観がかつてのイメージと違うので少しがっかりしたが、乗客も少なく快適だった。3人がけは少し窮屈だったが。

まるで小学生の遠足のような最後までワクワクドキドキの小旅行はたのしく、会議の疲れを癒すのに十分だった。午後からME企画会議。仲間たちに会うのはいつも楽しみだ。

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