ガウディへの思い
サグラダ・ファミリアと聞けば、「ああ、あの尖塔が一杯ある教会。スペインの…」という人は多いと思う。なにしろ、スペインで最多の観光客を集める人気スポットだというから訪れた人も多いと思う。今度のユスト高山右近列福答礼公式巡礼で訪問したことはすでに書いた。ヨーロッパの大聖堂にはあまり心が動かないのだが、今回は少し違った。建築物そのものに対しては相変わらずだが、建築に当たっている日本人彫刻家にいただいた本のタイトルに心が動いた。「アントニオ・ガウディの列福に向けて」。
敬虔な信仰者
彼に教えてもらったのは、ガウディが一生独身で毎日のミサを欠かさない敬虔なカトリック信者であったこと、列福運動が進行中だということ。いずれも初耳で大変新鮮、誰も知らない、取って置きの話をいち早く聞かせてもらった時のあのワクワク感に満たされたものだ。帰国後の夕食時に主任司祭に話したらさすがの彼も「ヘー知らなかった」。自己価値は大いに満たされたもののそれ以上の知識がないことにふと不安になった。で、長旅の疲れの回復モードも上がってきたところで、例の本を開く気になったというワケ。前置きが長くなったが、辞書を引き引き得た知識を基にガウディのいくばくかを紹介したい。
薄幸な家族
1852年7月25日生。バルセロナ(スペイン東部)から西へ約100キロのレウスという村で生まれた。タラゴーナというワインの産地に近く、両親はワイン醸造に使う釜や複雑に曲がった蒸留器を作る職人だったという。子供5人。長女は結婚して子供一人をもうけたが35歳の若さで亡くなった。2番目の姉は5歳で、3番目は2歳でそれぞれ夭逝。4番目の兄は薬学の学位を受けた直後の21歳で死亡。健康に恵まれない不運な家族に胸が痛んだ。5番目のアントニオ・ガウディも体が弱く病気がちでとても繊細な感受性の子供だったらしい。しかも、彼が21歳になった時愛する母を失っている。こうした諸要素が彼の建築様式に影響を及ぼしているのだという。
遊び心もいっぱい
こう見てくると、暗いイメージだけが付きまとうが、地中海の風を受けて育っただけあって、冒険好きでもあったらしい。建築様式もさることながら至るところに花や植物、それにカエルや昆虫などの生き物も多く描かれているのはふるさとの自然に親しんでいたからだ。学校に行くようになったのは11才だったが出来のいい子ではなかったらしい。16歳のときバルセロナに移住し建築学を学んだ。入学試験は3科目で、フランス語、デッサン、スケッチ。恩師の話によると、水彩で描かれた建物正面のスケッチは下手だったという。(続く)
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