20数年ぶりの思いがけない再会は教会破棄宣言の重たいボディブロ-でパンドラの箱が開いた

衝撃の再会

サグラダ・ファミリア天井のお告げ

サグラダ・ファミリア天井のお告げ

「あ、あなたは、エート、エート…」「○○です!」「そうそう、久しぶり!元気だった?」「いいえ!」「エ、どうしたの?」「アタシ、カトリック教会止めました。もう、教会から学ぶものなんかありません。イエス様だけで十分です。」「いったいどうしたの。」「多分、洗礼の神父さんが悪かったんです!」「ボクの前の?それとも後の神父さん?」「アナタです!」「エーッ!」「もういいんです。でも、お元気そうな姿に会えてよかったです。」信徒有志による障碍者を招いての文化講演会閉会の挨拶を終わって廊下に出たらバッタリ。と言うよりも、会場でボクを見かけて話したかったらしかった。

ガチンコ会話

ザビエル様が飲まれた井戸水当時のまま

ザビエル様が飲まれた井戸当時のまま

頭の回転が速く、個性的、直説法で切り込んでくる鋭い洞察力の持ち主、本心を明かさないナゾの多い人。そんな印象の彼女が蘇った。聖書のクラスに顔を出していた記憶はあるが洗礼の記憶はない。そんなことを言ったらたちまち彼女の鋭いパンチが飛んできそうだ。「いい加減なんだから!信徒なんかメじゃなかったのよ!」そんなセリフを創作したのにはわけがある。あの短い立ち話の中での言葉が気になったからだ。「裏切られた。司教になんかなって。」全く取りつく島もないセリフに面食らったが、「今年で終るよ」と言ったら、「え、そしてどこに行くんですか?」「分からない!」ボクもぶっきらぼうに答えて部屋に上がった。帰国一番待っていたのは幼稚園の一大事。ガクッ!そして二度目となる昨日は重たいボディブロー。

ああ8年

ルルの街角ボクの8年にも花が?

ルルの街角ボクの8年にも花が?

温泉から帰っても彼女からの一撃の後遺症に混乱気味。というよりも、記憶の彼方に追いやっていたものが次々と姿を現し赤面したり胸を打ったり。そういえば、あの時代、初めての幼稚園は園児減少のはしり。奮闘努力の甲斐もなく160名の園児はあれよあれよと言う間に100名を割り瀕死の状態。それでも、カナダの司教さんたちが開発したという新しい聖書の勉強会を主宰し、教会外での宣教という名のもとにホテルでの結婚セミナーに結婚式、そしてME(マリジ・エンカウンター)とボクとしてはあの手この手、独断専行の8年だった。そんなこんなで、園児数を、100台に戻したとき、「もう8年になります。どこでもいいから幼稚園のない小教区に移動させてください」と燃え尽きた時でもあった。それはいわばギラギラの情熱であって、今は天国でお休みの前任者には怒りのランボーばりの正義の味方を演じて得意顔になったていた統合されない、荒削りの信仰を生きていた時代だった。

彼女が残したのは希望?

ザビエル城のほほえみの主こそ希望

ザビエル城のほほえみの主こそ希望

そんな時居合わせたのが彼女だった。過去の思い出と共に全く顔を見せることのなかった彼女が突然目の前に立ちパンドラの箱を開けた。司教さんはじめたくさんの人と刃を交え傷つけた8年が走馬灯のように巡り来るのだが、舌鋒鋭い彼女とも渡り合ったはずなのに思い出せない。ともあれ、すべては神様の手の中で起こっているのだから無意味なことなどない。彼女との再会にどんな意味があるというのか。あらゆる災いが地上に飛び出したのであわててふたを閉めたら希望だけが残ったというパンドラの箱。希望さえ残ってくれたら万々歳だ。ま、そうでなくても神様の元では希望しかないのだが。

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