タラゴーナの自然に抱かれて
神と建築と自然への愛。リュウマチ熱という病のためベッドでの生活を強いられたガウディ。その分、物事をよく思いめぐらし、周りの自然を愛しその営みに驚き共感することができた。地中海の豊かな自然、曲がりくねった幹を持つオリーブの木、エニシダの香り、夏の花々、冬の深い霧などなど。ねじれた形状と直角のないさま。焼け付く太陽と突然やってくる嵐。これがタラゴーナの平原であり、それがそのままタラゴーナの人々の有りようとなっている。つまり、思やりがあって同時に芯が強い。病弱さは生涯にわたるものだったが、子供の頃見たものがずっと残るように、それはさまざまな人生を楽しむことを妨げるものではなかった。
物静かでも好奇心旺盛
また、彼は友人関係に疎く非社交的だと言われるがそうではなく、何人もの友達仲間やいろいろの文化的社会的活動に多くの時間を割いた。また、健康上の理由で制限はあったものの友達との遠出や集まりを決して断らなかったという。とくに、バルセロナでの一年目は、彼の活動は多岐にわたりしかも熱心だった。たとえば、当時も今もなおゴチック様式の建物の中にある文化センターの常連であって、文学や哲学、それに科学の集会と好奇心旺盛だった。多くを語るほうではなかったが、彼の短い言葉は常に明確でしっかりした根拠のあるものだったので、二十歳過ぎの若者であるにもかかわらず、彼の考えは専門家や教授たちからも注目を集め評価されたという。
歩こう会
1870年、“カタロニア歩こう会”に続いて“カタロニア科学をする歩こう会”が立ち上がると彼はすぐに参加した。前述のとおり、かれは自然の瞑想家であり自然の中で創作する人だったのでごく自然なことだった。彼は、レウのいつくしみの乙女マリアに捧げられた教会をはじめ聖ペトロ教会や聖フランシスコ教会などのゴチック様式の教会で数時間も過ごしたという。そこから始まる巡礼に幾度なく参加もしている。彼にとって戸外での活動はなじみが深く、新しく立ち上がったカタルニアを歩く会にも多くの時間を費やすことになった。神学生の頃”歩こう会”という登山同好会を立ち上げたことが思い出されておかしかった。
不幸がくれた信仰
次々と襲った家族の不幸についてはすでに述べた。そうした、沢山の不幸の中にあってガウディは成熟さを増していった。つまり、死は終わりではなく始まりだという絶対的な真実をこそ多くの苦しみが教えてくれたからだ。彼の作品はこの世と天国を結ぶ試みだったと言っても言い過ぎではない。今までのところ、あの教会をどうして聖家族教会と名付けたのか根拠を見つけないが、病弱でしかもたくさんの不幸に見舞われた家族だっただけに、ナザレの聖家族にあこがれる気持ちが人一倍大きかったのかもしれない。ともあれ、ガウディのことはここでいったん終わりたい。
コメント