教会の始まりは12名。星塚教会10数名、鹿屋教会20数名。しかし、カテドラルに比べたら信者との距離は最短。アットホームでホッとするのは教会の始まりの頃の感覚に似たものを感じるからかもしれない。
そうはいっても、星塚教会の皆さんは、「大隅地域でのカトリック教会草分の地はここです」という誇りがあるだけに、「あの頃はお御堂いっぱいの信者であふれたものです」と寂しさを拭えない。地方の教会ではどこでも聞かれることではあるが、鹿児島教区の「信者が一人でも増えてくれれば」との思いは麗しい。
それでも、鹿屋教会での主の晩餐のミサには3名のフィリピン人奥さんたちが来てくれた。1人はご主人同伴。このご主人、最近の洗礼と聞けば、彼に続く受洗者への 期待が高まる。幸い、奥さんの方はフィリピン人奥さんたちのリーダー。なんとかこの人々に働いてもらって、「一人でも」の悲願成就に向けての道筋をつけることができたらと思う。
ともあれ、裸の祭壇、空っぽの聖櫃、文字通りガランとした聖堂は主の死の黙想にふさわしい。それに、ときおり基地を飛び立つ飛行機の音が遠くから届き、選挙運動の車がボリューム全開で走り去る他に気になる物音はなく、それに、主任司祭外出中の人気のない司祭館。こんなにも静かな生活をエンジョイできる聖週間は出張に限る。
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