隔世の感
様変わりした「召命の集い」。今では、「神学院祭」に名を変えて大盛況。「話をしてほしい」との依頼を受けたのはいつだったか。二つ返事で引き受けたものの状況は全く飲み込めないまま当日を迎えた。開会式にミサ、12時半から講話。開会式といっても、どこでどんな風に始まるのかも全く見当がつかない。「ま、話を頼まれたのだから、使命を果たせばいい」と特別意にも解さなかった。蓋を開けてみると、ミサの主司式もするのだという。「えっ、大司教さんは来ないの?」「いえ、これは、神学校主催なので今回は…、『ぜひ司教さんに』という声があったものですから…。」「司教さんが、説教を断ったのでボクがすることになりました。」鹿児島教区の助祭が打ち明けた。「説教を断った?そんなことはない!」と叫びたかったが、そういうことになっているようなので飲み込んだ。ともあれ、隔世の感大。
今どきの神学生
ともあれ、曇り空の下神学院祭は始まった。かつての我らがテニスコートにバレーコートは芝生に変わり、十数枚の整然と広げられたブルーシートが各小教区のためだと分かったのは開会式が始まる直前のこと。各区画ごとに立てられた幟で納得。これも初めて目にする光景だ。小教区ごとに幟を立てるなど、30年前には、思いも付かなかいことだった。それにしても、子どもが減ったので、もはや、「召命の集い」が成り立たなくなった結果現在のような形になった。それにしても、少し悔しいが、当時とは比較にならないほどのこの動員力!かつて机を並べた元神学生と交わした会話は、「神学生が減った割には派手やね。」ヒガミ半分。当時は見たこともない高価そうな機器を駆使する神学生にジェラシー?
将来のバザー運営実習?
ミサ中は、今にも降り出しそうな曇り空にハラハラしながらも、なんとか持ちこたえて一時間20分のミサは無事終了。子供が少なくなったとはいえ、共同祈願の四人のうちの二人は子供。少しだが、慰められた。ミサ後のバザールは半端じゃなかった。食べ物はもちろん、衣類からミサ用祭服に至るまでありとあらゆるものが並べられていて驚いた。祭服を販売しているのが何とタイの青年。助祭の一人と友達で来たのだという。「3日後に帰ります。」思いがけない出会いにも驚いたが、滑らかな英語も印象的だった。
徒然なるままに
12時半から始まった大聖堂での講話には立見席ができるほどの大入り満員に驚いた。そして、正直嬉しかった。1時間はあっという間に過ぎたが、聞く人たちには、退屈でなかったことを祈るばかりだ。あ、そうそう、テーマは「見よ、新しいことを私はおこなう」(イザヤ43‣19)だったが、「信仰の危機管理」-信者らしく生きるためのヒント-という物々しいもの。質問もあったはずだが、そそくさと会場を後にしたのは少々心残りだったが、後のまつり。気疲れのせいか、博多駅までのバスは心地いいゆりかご。ミッションオーバーというわけで冷酒で車中乾杯。乾いた喉にはカンロ甘露。*新幹線の中で、徒然なるままに。
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