日本の教育改革はしょせん無理なんだろうなあと慨嘆した今朝の記事

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「給与より負担軽減を」現場から切実な声

「残業手当を倍にします」みたいないつかのテレビのニュースに「先生たちのほほを札束で張るみたいでかわいそう。」そんな印象を持ったものだが、今日の南日の記事に「やはり!」お金をたくさん上げるから文句は出まいという発想が先生たちを納得させるとでも思ったのだろうか。部外者のボクでも腹が立つ発想だ。

ついこの間読んだばかりだが、「競争やめたら学力世界一」ーフィンランド教育の成功ーという本は、いみじくも「日本の教育には思想というか哲学がない」ことを証明してくれたようなものだ。フィンランドに何度も足を運んでいくつもの小学校の現状をつぶさに観察した教育の現状が記されている。

2006年5月25日第一刷発行となっているので、ほぼ20年近くも前のことになる。なのに全く現状変更がなされない日本のふがいなさ。しかし、日本の場合はフィンランドのまねは到底できないと思った。そもそもが農耕民族として「いっしょに」を旨としてきた日本人とは違って、12世紀にはキリスト教化がなされた国とは違って当然。

つまり、個人も社会も「みんな違ってみんないい」という全く同じ価値観を持っているので、個人の自由さはどこでも保証されているわけ。だから日本の「クラス崩壊」などメじゃないらしい。先生の話を静かに聞く子は10人中二人ほどと聞けば、学校はもちろん親たちが大騒ぎする日本とは大違い。それでいて、学力世界一!

日本人には垂涎の的のはずだが、「日本ではムリムリ」と決めてかかっているから誰も本気になれないのかもしれない。自由奔放でのびのび、しかも勉強も一番。日本人には夢のような話に違いない。先生も生徒も自由にのびのびという世界は夢のまた夢?先生たちが幸せでなかったら子供も幸せになれないのでは?目を覚ませ教育界!

友人作のレクイエム。十字架の道行き最後の留(十字架上の死)下に安置。両枠には日本国憲法の序文が記されている。

友人作のレクイエム。十字架の道行き最後の留(十字架上の死)下に安置。両枠には日本国憲法の序文が記されている。

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