十戒は禁令集ではなくどんなことがあっても共にいる神からの呼びかけ

変動の時代を生き抜く原理は何か

今日のミサ担当は鹿児島教区出エジプトの状況を見ると混乱した時代の中で、とくに司祭としてどう道筋をつけて生きればいいかが見えてくる。エジプトは人を奴隷とする問題性に満ちた世界。そこからの脱出としての出エジプト。しかし、待っていたのは砂漠であり神への反逆。それでも、約束の地に向かって十戒という十の言葉で道筋(生きる原理)をつけてくれたのは神ご自身。そこに神のいつくしみがある。

神のいつくしみ

十戒に込められた神の思いは、「どんなことがあっても、あなた方を約束の地に必ず連れて行く」というもの。つまり、規範のない混乱した世界に道筋をつけ、道からそれた時は預言者を送り、時には罰をも与えながらなんとしてでも約束を果たそうとする。これが神の聖性、一貫して変らない神の心遣い。だから、神のいつくしみは、なんでもアリのベタベタなものではない。怒り罰することもあるが、最終的には許し受け入れるダイナミックなもの。

十戒の心

昼休みの散歩は志高湖「あなたには私をおいて他に神があってはならない」。これは、「あなたは私以外に神を持ったりはしない。まさかそういうことはないよね」というニュアンスだという。そういう間柄にあることが前提となっている呼びかけ。十戒は、イスラエルの民自身の権利を守るためではなく、他者の権利を守るためのもの。これはラウダート・シの精神でもある。

*今日話されたことの十分の一ほどしか書かれてないのでなんのことか分からないと思うが、初めて編集画面に直接メモしたものを同じ画面でまとめたもので、いわばお試し。

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