年賀状に始まり、時候の挨拶を欠かさない皆さんには、年賀状も書かない自分としては、後ろめたさと共に「どうぞお構いなく」という心境。
しかし、全く矛盾するのだが、密かに心待ちしている皆さんがほとんどだ。なかでも、思わず「おっ!」と顔が輝く古い友人がいる。友人といっても、若いころからヤングウウィークエンド(若者のための週末プログラムでチョイスと改名)で活動した仲間。
確か国語の教師だったと記憶しているが、それだけに、文章力にたけ、季節の移ろいに対する感性は豊か。その証の一つが、この残暑見舞い。今回は、思わず辞書を引かないと判読できない難しい言葉が三つも。そのうちの一つビンテンはパソコンでも出てこない。
クリスマスや復活祭の挨拶も合わせると年4回、この手の挨拶が届く。5月には、十字架の中の文字が「主のご復活おめでとうございます」だったか、「主は蘇られたアレルヤ」だったか、アヤフヤで申し訳ないが、そんな風に読めるあいさつ文だった。頭が混乱してボクにはとてもまねのできることではないが、ご当人もかなり知恵を絞るらしい。
20数年も絞り続けると、さすがに半端ではない。時宜にかなった短い挨拶が生み出されて、受け取る側としては、思わず破顔一笑、「なるほど」となる。これまでのものをまとめて本にすればいいと進めるが、いまだに実現してもらえない。「折々のことば遊び」とかなんとかタイトルをつけるといいと思うのだが。
AYDから帰国以来、なにやかやと気ぜわしく、おまけにいつものように山のような郵便物に目を通すのも一日仕事。しかるべき返礼も滞り、中にはいつの間にか失念の非を招き、そうこうしているうちに、29日の再渡韓の日も目の前。ハングルでの叙階式式文練習、9月の助祭コース審査に向けての書類収集。細切れに組まれた日程。身から出たサビとはいえ、まるで、網の中に追い込まれて右往左往している魚。そんな哀れな自分の前に舞い込んだ暑中見舞い。久しぶりに、ブログを書く気にさせてくれた。
で、チャッカリ、残暑見舞いの盗用となった。友よ、悪しからず
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