オスカーのこと

140829器物損壊容疑で捜査。例の盲導犬刺傷事件の見出し。大手新聞でも、盲導犬は器物。警察が捜査する際にどのような種類の操作になるのか特定する必要があるからだとは思うが…。

それでも、他に呼びようはないものかとこだわってしまう。いくつもの刺し傷にじっと我慢して、主人のそばから離れないばかりか、何事もなかったかのように静かに寄り添う盲導犬。訓練されているとはいえ、あまりにもいじらしい。

誤解されたり、少しでも不利益をこうむると大騒ぎする人間よりもはるかに崇高な姿に脱帽だ。そんな忠実で使命感に満ちた盲導犬を器物と呼ぶ気にはなれないのだが…。何を言いたいのか自分でも明確にできなくてもどかしいのだが、「オスカーは何事もなかったかのように自分のそばにいてくれて、それがかえってかわいそう」というご主人の肉親をいたわるような言葉は涙すら誘う。

器物損壊だと、趣味で集めたものが何者かに壊されて残念、悔しいという犯人への怒りにも似た気持ちは湧き上がっても、あるいは、気をつけなかった自分が迂闊だったという反省はあるとしても、「気がつかなくてごめんね」といったオスカーを思いやる痛みはない。

血の通わない器物との間にあまりにも脈絡がないことへの違和感大なり。そうそう、普通は、器物に特別の名前を付けたりはしない。そこも違う。何よりも、器物と持ち主との間に心の通い合いははない。で、言いたいことは記事を書く人々にはこうしたこだわりはなかったのかという疑問。

そうなら、盲導犬のご主人に失礼ではないか!と怒っている自分がある。

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