小道考1

梅園の小道「神よ、あなたの道を示し、あなたの小道を教えてください」(詩編25,4)。今朝のミサの拝領唱。小道、と聞いて子供の頃の故郷の村の小道が浮かんだ。

畳屋さんの裏にあって普段はあまり人が通らないので少し湿っぽく、苔が生えたりしてすべりやすかった。それに、伸びすぎた竹が道を覆うこともあって、少し薄暗く、でもなにか新しい発見がありそうなワクワクした感じがしたものだ。

泳いだり、魚を捕ったりと子供たちの社交の場?だった海に降りるには村の真ん中を通る道を行けばわけはなかったのだが、教会の庭を横切りわざと少し遠回りをしたものだ。わずか50mほどの距離だったが、時には、鶏を解体した跡があったり、つまり草むらに頭が転がっていたりして、次なる出来事を期待できるのでドキドキ感十分だった。

だから、ボクにとって、小道と言えば、自分だけが知っているわけではないが、みんなが興味を持つのでもなく、したがって、“鶏の頭発見!”といったボクだけが知っていると思われる“事件”に遭遇し、だからどこか秘密めいていてワクワクするあの小道なのだ。

ちなみに今日の福音でイエス様が、弟子たちが断食しないと批判された時の答が謎めいている。「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は哀しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られるときが来る。その時彼らは断食することになる」(マタイ19.15)。質問したヨハネの弟子たちは面食らったに違いない。

それは、イエス様しか知らない小道があって、イエス様と出会ったばかりのヨハネの弟子たちには知る由もない小道だったということではなかったのか。もう少しイエス様と親しくならないと見えて来ない小道。しかも、その先には海水浴や魚取りに夢中になれる楽しい世界が待っている小道。

四旬節が始まった。少しは大人になった自分に見合う主の小道を捜さなければ。

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