第三ステージに向けて
今日、ようやく引っ越し作業に取り掛かることに。いよいよ司祭職第三のステージが始まることになるわけだ。先ずはカミガミの整理からとなると、たまりにたまった大小の本や紙データから。一年手にしなかったものは惜しげもなくお持ち帰りコーナーへ。そして、主任司祭の許可のもと、第一便を聖堂下のお茶ホールのテーブルに移動。ここまでが午前中の仕事。
思い出のカケラ
ところで、司祭叙階25周年を祝ったのは1997年、21年も前のことだ。シカゴにあるカトリック大学聖書学部秋のコースは、聖書の世界でのオープンキャンパスだと聞いて参加することに。英語漬けの毎日になることに気後れしたものの、聖書の世界で話が聞けるのは魅力的だった。9月から3カ月かけて聖書の世界をくまなく廻った。書棚を整理中、そんな旅の記録の片鱗が見つかったものだから思わず手を休めたというわけ。片鱗といっても、ホチキスで止めたA4のレポート用紙に書きつけられた40ページにわたる手書きの詩集。思い出にお付き合い願いたい。*写真の時間は正しくない。
緑化を夢見たベングリオン
イスラエル初代首相ダビド・ベングリオン 出エジプトの理念のもと ネゲブの緑化を夢見て下野 夢の実現に取り組んだ キブツ ベングリオン大学そしてベングリオン研究所 しかしネゲブ開発は足踏み状態 ネゲブの緑化もさることながら ネゲブのベドウィンとの共存共栄 もっと考えたらいいのに
ネゲブはイスラエル南部の広大な砂漠地帯。全く緑のない砂漠にすむベドウィンの若者が馬で登校する姿は印象的だった。ベングリオンはそんな若者たちのためにも緑化を考えたのかもしれないが、ネタニエフの時代、ますます取り残されているにちがいない。
エン・アブダド
水が飲みたい 水がない 水を下さい死にそうです シンの荒野でモーセに叫んだ 岩を打てば水が出る 神の言葉に奮い立ったモーセは二度打った 共同体も家畜も飲んで命拾い(民数記20,11) エー岩から水が涌くもんか ネゲブの岩は水を含む石灰岩 なるほどチョロチョロ滝でも 大きな池となり清流となって 小鳥がさえずる景勝地 見上げた崖には野生の山羊アイべクスの群れ エン・アブダトは砂漠の中の命涌くオアシス
緑ひとつないあの酷暑の地にあって、ここだけは別天地。満々と水をたたえた川はやがて清流となって砂漠にしみ込んで消える。何とも不思議な光景が忘れられない。シンの荒野はネゲブの砂漠のこと。ちなみに、モーセが二度も岩を打ったことは神への不信のしるしとしてとがめられ、約束の地に入ることを許されなかった。そんなに重大な過ちと思えないのだが…。
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