12年ぶりとなる小教区での司牧活動初日となった受難の主日のミサで感じたことは

母国を離れて

バナナでも食用にはならない

バナナでも食用にはならない

受難の主日の今日のミサに参加したのは地元信者を始めフィリピン人6名にベトナム人1人という総勢20数名のインターナショナル。印象的だったのは、まだ20代前半かと思われるベトナム人の女性が共同祈願で自国語での祈願を捧げたこと。珍しいことではないとは思うが、お客さんとしてではなく、すっかり共同体の一員になっている感じがしたので何故かホッとした。母国を離れて祈らざるを得ないことが多いのだと思う。ミサ後に分かったことだが、あと1年で帰国するという。頑張ってほしい。彼女の祈りに触発されたかのようにフィリピン人からは英語でのお祈りが続いた。「この人たちがミサを豊かにしてくれている。」嬉しい実感だ。

信仰改造論

彼女がいかに歓迎されたかの証

彼女がいかに歓迎されたかの証

こんなことを言うと反論が来そうだが、日本の信者は「読む祈り」を捧げるが、この人たちは「自分の祈り」を捧げている。改めて感じたことだった。深刻になる必要はないかもしれないが、「神様との個人的な関わりが日本人は希薄であの人たちはコイゴイとしている」差だとしたら、信仰の改造論が必要になるとは思う。ともあれ、手作り料理を好む日本人が次に目指すべきは「手作りの祈り」ということかもしれない。

説教音声

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