屋久島・シドッチ祭紀行
久しぶりに屋久島へ。今回は最新鋭の高速船ロケットで。約二時間半の航海。窓辺に陣取り、弁当をほおばりながらピクニック気分。小波を掻き分けてのハシリは快適そのもの。
宮之浦の湊にはディノしんぷさんのお迎え。教会までは約一時間のドライブ。初めてのティエン・アン両師は道中さまざまなことに興味しんしん。サルが道の真ん中にいたり・・・と、ディーノが弾むような声でガイド。雨のため登山は中止。ホテルで休むことに。
昨年10月にオープンしたというJR直営のホテルは岬にあって、案内された部屋の目の前は灯台。温泉も自前で掘ったそうでミョウバン。「肌がツルツルなります」と案内の者は得意げ。ぬるめだが確かに気持ちよかった。
一日明けても雨と風は激しさを増すばかり。お陰で、町側のシドッチ祭は中止。その代わりにと、豪華ないけばなが届けられ、「信徒一同より」と共に玄関先におかれた。町の心遣いと、わずかな数の信徒たちの心意気みたいなものを豪華な生花に感じて心が和んだ。
1708年10月11日。単身日本人に変装しての上陸敢行。しかし、直ぐに見破られて捕縛。長崎、江戸へと転送されて新井白石の尋問を受けることに。師の博学に打たれた新井白石は三つの提案をお上に。①国外追放②斬首③座敷牢に幽閉。お上は③を採用。しかも、世話係に老夫婦も。しかし、やがて、老夫婦が信者になったことが発覚して地下牢へ。そして餓死刑。
新井白石の著書「西洋紀聞」こそ、シドッチ師から得た西洋事情を記したもの。それを読んだ武士たちが啓発され、やがて「洋書の禁」が解かれ、そして明治維新。
なのに、シドッチ神父が明治維新の立役者として、なくてはならない人だったことを知る人は少なく、しかも殆ど何の評価も受けていない。で、シドッチ祭は細々とひっそりと続けられているのが現状。
世界遺産のこの島に再び宣教師を送りたい。「宣教師を下さい、と祈りましょう。」信者たちが大きく頷いた。屋久島が急に自分の中で大きな場を得た日だった。
西之表経由のロケットはボクに丘の上の懐かしい教会との再会をプレゼントしてくれた。
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