”それでも”考
多くの方から叙階記念日や復活祭のカードを頂いた。そして、やはり、モットーについて述べられた方が何名かおられた。皆さんの信仰生活に意味のある言葉として確実に定着しつつあることが分かり嬉しかった。
しかし、「それでも体験募集」となると筆が進まないらしい。確かにそうかもしれない。体験を文字にするのは難しいと思う。それに、みんなの中に「それでも信仰体験」が定着し、身近な人々に語られているなら、敢えて体験を募集する必要はないかもしれない。
ともあれ、最近、「それでも信仰体験」を何か特別な出来事に限定しているのではないかと感じることがあるので、少し書いてみたい。
この言葉が生まれた背景には、たくさんの辛い体験があったことは確かだ。しかし、辛い体験の中で神様の呼びかけに心を開く生き方を貫くことが出来たのはCLCやMEに負うところが大きい。CLCからはありのままの自分と出会うこと、MEからは愛は決断・感情に善悪はないことなど多くを学んだ。そして、壊れかけた人間関係を何度も回復することが出来た。そうした基本的な生き方さえ身につければ、大きな間違いを犯さないで済むだけでなく、たとえ、誤解や行き違いがあっても、最終的には、「喜び・希望・感謝」を味わうことが出来る。それに、いつまでもこじれた関係を引きずることもない。それには、神様の前での孤独な祈りが求められることは言うまでもない。
こうした基本的な信者の行き方を身につけるのに「東洋の瞑想とキリスト者の祈り」や岡神父様の内観はとても有効。また、一番手っ取り早いのは、人間関係で躓いたり、辛い体験をした時、「それでも・・・」を口にして一息入れる練習を忘れないこと。必ずや新しい光が射すはずだ。
*5月号の教区報「執務室」原稿より。
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Re:”それでも”考
ブログをいつも拝見させていただいております。私は在フランス日本企業で働く、今年で受洗30年のカトリック信者です。
私も「喜び、祈り、感謝」をモットーに生きたいと思い続けてきましたが叶わず、またこちらに信者友達もおらず、孤独を感じ落ち込むことの多い日々でした。
でもある日、フランクルの著書「それでも人生にイエスと言う」を思い出し、私も「それでも、喜び、祈り、感謝」でいかなくてはと思ったと同時期、司教様のブログのことをウェブ版カトリック新聞で知り、とても共感しました。
つらいことがあっても喜び祈り感謝なのは、神様に生かされているからこそ(自分が生きている)、ということだからなのですよね。自分一人で生きているのではないのですものね。
あまり深刻にならず肩の力を抜いて、のびやかに「それでも喜び祈り感謝」でいきたいと思います。
Re:”それでも”考
遠い国からようこそ。共感していただいて嬉しいです。いつもたわいないことばかり書いていますが、今回は、必要に迫られて?信仰生活の手引書みたいになりました。「肩の力を抜いて・・・」心がいつも元気であるよう祈ります。
そちらでは大統領選挙たけなわのようですね。