2007/05/24
世にある教会の実相
作成者 admin
—
投稿日
2007年05月24日 21時16分
最終変更日時
2007年05月24日 21時16分
午前中顧問会。某修道会施設の教区移管を巡っては教区として受け入れの方向。老人ホーム構想は修道会との絡みもあり紛糾?結局、振り出しに戻った。当面は様子見ということに。
構想を巡らすことは楽しいが、教区の資金がゼロという現実では、民間資金の活用という方法しかないらしい。そうなると、教区の手を離れた管理・運営とならざるを得なくなる。それでは、教会らしいものにするのは難しいのではないか。もっとも、しっかりしたカトリック信者の病院に任すことが出来ればいいかも知れないが・・・。ウーン・・・。
ということで、結局、顧問達の反応は否定的。Uさんを介しての業者による可能性を探る作業の報告を待つことに。
- そんな問題で司教が悩まなくても・・・
顧問の一人が苦言を呈したが、
- 教会の老人ホームに・・・
という多くの信者達の夢をなんとか形に出来ないかと悩むのは価値あることとは思うのだが・・・。世にある教会は夢だけではやっていけない?それが実相かもしれない。それでも、喜び・希望・感謝?
*写真と本文は関係ありません。
※Facebookユーザーはコメント欄への書き込みもできますので、ご利用ください。
【お知らせ&お願い】 サーバーの制御で最新号が表示されないことが時々あります。
最新号でないかもと思われる場合は、それでもBlog!最新号の表示をクリックしてください。
ロケーションバーのURLの末尾に/(半角のスラッシュ)を挿入後クリックすることでも同様の効果があります。
- カテゴリ
- できごと
- 固定リンク
- ¦
- コメント (3)
- ¦
- トラックバック (0)
- トラックバック用URL:
- http://sdemo.net/pken/Blog/070524/tbping
- スピリチュアルケアの意識化
- ¦
- メイン
- ¦
- 聖霊降臨堅信式
質問です(ブログ内容とは関係ない質問ですが・・)
まるで私や私のどん底の原因を作っている子どもを導いているかのよう・・なのですが・・。(教会に)
この出来事をどのように考えたらいいのかわかりません!
詳しいお話はここでは書けませんが奇跡のような偶然に驚いているところです。ぜひともコメントをお願いします。
Re:世にある教会の実相
お尋ねの件興味深く読みました。
子供さんが教会に導かれたということのようですね。洗礼も受けていないのに。しかも、自分にとっては心配ごとの絶えない子供さんだった。
ということですか。
それで、喜びながらも、戸惑ってしまっている、ということですか?
答えは、あなたが感じておられるとおりです。直接関係ないかも知れませんが、創世記に興味深いエピソードがあるので紹介します。創世記28・10-17:ヤコブの夢の話しですが、父イサクの元を離れて、お嫁さんを捜しに旅に出たときの話しです。
神様は、自分たち同族の中にだけおられるのかと思ったが、こんな荒れ地にもおられたものだという驚き。神様の概念が、部族の神様から、世界の神様へと進化していく過程のように思えて僕には大変興味深い話しです。
私たちが父と呼ぶ神様を、神様を父と呼ぶことを知らない人々から引き離してはいけません。文字通りみんなのお父さんですから。みんなのために働いてくださるお父さん、天地創造の神さまを小さな世界閉じこめない方が信者らしい。
また質問してください。
お答えありがとうございます!
実は、子どもが教会に導かれたというわけではありませんが、教会につながるようなご縁があったということです。(結婚とかでもありません)私が苦難の時、なぜかそういうご縁が私の周りにたびたびあるのですが、神様やマリア様の存在というかいつも見守ってくださっている・・という感じがしています。子どもも、この縁に気がついて教会に導かれればいいなと思っていますが、この縁が発展するもしないも本人しだいなのですが・・。詳しいお話をこちらに書くことができず、概念てきなお話ですみませんが、そういう事がここ2、3日の間に起こったという事でちょっと興奮してしまいました。聖書のヤコブの夢の話はとても興味深いです。
すべての人に神様は開かれているのですね!。でも、それに気がつく気がつかないで導かれるかそうじゃないかの違いがあるのだと思いました。 ちなみに子どもにあてはまる聖書のたとえ話は『放蕩息子』の話です。また疑問などありましたらこちらで質問させていただきますのでよろしくおねがいいたします。