「仲良し」のキリスト教的価値
まるで論文のタイトル?「一体何事か」と思うかもしれない。教皇の回勅「希望による救い」は慰められる箇所が多い。まさに希望の書だ。
昨晩鹿児島市内に10名いる高校時代のクラスメートが八人集まった。年二回集う気の合う仲良し。そんな彼らのために毎日祈っているということもあって次の箇所が「グッ!」と来たのだ。
l 存在のつながりの中で、わたしが他の人にささげる感謝も、他の人のためにささげる祈りも、その人の清めにとって何らかの意味を持つことが可能です(同書97頁)。
教皇は全ての原稿をご自分で書かれると聞いたが、そのせいなのか総じて読みやすい。前回の「愛の秘蹟」もそうだった。ま、気のせいかも知れないが・・・。
前後するが、つぎのことばも味わい深い。
l 祈りの正しい方法は内的な清めを行うことです。内的な清めを行うことによって、わたしたちは神を受け入れることができ、そこから、人々をも受け入れることができるようになるのです(同書67頁)。
話は飛ぶが「命日」は「命の救いが始まった日。だから、ミサの中で帰天した方々を祈り、命日にミサをささげるんだ」(トシちゃん円現62号―岡神父通信)。今日の話題へのもう一つの切り口。ちなみに「トシちゃん」は腹話術の人形の名前。内観で魂の活性化がテーマ。ご本人はHPは持たないが仲間の神父さんにアクセスできる。
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