お礼参りを終えて
3月23日(水曜日)、ティエン神父さんの故郷へ。
昨夜のニャチャン教区ヨセフ・ミン司教様主催の夕食会は、折りしもローマからのお客様2人の兄弟司祭に近隣の主任司祭を加えて総勢50名余の大きなパーティー。お腹の具合がいまいちでお勧めのご馳走にもビールにも手を出せずに失礼した。ホテルに帰ってからの地酒での二次会が効いたのか食欲が回復。朝食のおじやとスープはお代わりするほど美味。
9時にホテルを出てティエン神父さんの実家に着いたのはちょうどお昼前。早速感謝のミサ。信徒数3500人というだけあって、長崎の浦上教会を思わせる大きなお御堂だった。片道3時間ものドライブの目的は二つ。ティエン神父さんの故郷の教会で2人で感謝のミサを捧げることと母上はじめ家族の皆さんへの感謝。
数年前に再建された家には親族一同が顔をそろえ、主任司祭も同席したテーブルには、次々とご馳走が運ばれ賑やかなお昼が始まった。ティエン神父さんも接待におおわらわ。食後酒の蛇酒には驚いた。母上とは7年ぶりの再会。ふけた感じもなくお元気そうなので何よりだった。感謝の言葉を申し上げたのは言うまでもない。
主任司祭は人のよさそうな43歳。2015年には司祭叙階25年のお祝いをするからぜひ来て欲しいとのこと。司祭をとても尊敬する人たちがどんなお祝いをするのかこの目で確かめたいとは思う。帰りに、手作りのクアントロ(甘い食後酒)のおみやげ。
空港への帰り道、ジュン神父さんの実家訪問。その前に、沖縄にも支部がある愛の十字架本部修道院訪問。昨晩、ニャチャン教区の事務所からすでに連絡が入ったのだという。総長さんはじめ大勢の若いシスターたちが拍手で迎えてくれた。300人が住むという。ジュン神父さんの叔母さんも会員で実家まで案内してくれた。途中、88歳になる神父さんのおじいさんを訪問。お祈りと祝福。5月には家族の大きなお祝いがあるそうで「先も長くないので、ジュン神父を来させてください」とのこと。もちろん快諾。
実家に着いてみるとアン神父さんの母上と兄上も待っていてくれた。タム神父さんの父上はホーチミンに出かけたとかで会えなくて残念。ジュン神父さんの先祖には殉教者もおられ、曽祖父は王様にもお仕えしたという家柄。母上の兄弟姉妹は8名。7人のおばさんのうち2人がシスター。1人は司祭。奄美での2人の働きを伝え、信者たちが喜んでいること、二人の働きに感謝していることをお伝えした。
アン神父さんの母上が、「本人たちがどこで働こうと私たちは感謝しています。」ジュン神父の母上が頷いた。さすが息子を捧げた母親たちだ。ジュン神父さんの母上の笑顔が息子神父にそっくりなのが可笑しかった。あわただしい訪問だったが、今回の巡礼の目的をほぼ果たすことができたので神に感謝だ。
ホーチミン・タンソンニャット空港に着いたのは午後10:30過ぎ。日をまたいで24日午前1:30、ほぼ予定通り離陸。福岡空港着はちょうど8:00。これまた正確に予定通り。機内での振舞い酒?が聞いたのか目覚めはすっきり。
12:00の感謝のミサ後解散。3泊4日の駆け足だったが1日1日をフルに使い切った巡礼だった。日をフルに使い切ったお礼参り巡礼だった。
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はじめまして
ジュン神父は今何処にいますでしょうか?
ジュン神父と約束したことがあります。多分ジュン神父は覚えてないとおもいますが、「俺が結婚するときは、ジュン神父が式やって」っと、言ったのです。
去年結婚したんですが、ジュン神父が何処にいるかわらず、連絡先もわからなかったので、式は挙げていません。
ジュン神父と連絡が取れるのでしたら、伝えてもらえないでしょうか?ぶしつけなお願いで、申し訳ありません。
Re:お礼参りを終えて
鹿児島にいるジュン神父4年前に叙階したので別の司祭ではないでしょうか。別の司祭だと思います。申し訳ありませんが見当がつきません。悪しからず。