もう一つの福音
前任者が残した膨大な量の本の中からチャッカリ手元に残したのがマリア・ワルトルタの著作。長い留守のときは必ず読み物を持参するが、
今日は彼女の著作の中から「受難の前日」。姉にコピーをもらって読んだことはるが著作を手にしたのは初めて。どんな経緯で書かれたのかまったく知らなかったが、潮見について早速調べてみた。次のようなことが分かった。28年にわたる”病床の間「神と人なるキリストのポエム」という、ノート1万5千ページにもわたる原稿を何の推敲もなく、4年間の間にしたためる”。
本人は神からのビジョンと言っているそうだが、そうではないという否定的な評価よりもむしろ「そうらしい」という肯定的評価が勝っているようだ。その理由はいくつかあるが、そういう議論はともかくとして、ボクとしては個人的には黙想書として最高だ。
その描写はまるで自分がイエスと旅をともにしているかのように具体的で生々しく詳細を極めている。しかも、彼女はパレスチナに行ったこともなく学問的研究は皆無であるにもかかわらず、その描写は正確そのも。
飛行機の中で読んだ章は「・・ユダは泥棒だった」。ユダの普段の生活からして問題ありだったという描写は、選びの神秘というか、なぜ悪が存在するのかという永遠の課題、つまり、具体的にはユダの裏切りという説明のつかない命題に対して一つの答えを出しているように思った。
なによりも、ユダを立ち直らせようと試みるイエスとあくまで自分にこだわるユダのやり取りは現実味がある。イエスとユダとの攻防。そういう表現がぴったりするほどの息詰まるようなやり取り。鬼気迫るものさえ感じられる。それがあまりにもリアルなので、もしかしたら、本当はそうだったかもしれないと思うほどである。
それにしても、イエスの乱暴過ぎるとも思えるユダに対する言葉。じつは、それがユダを心底愛している証拠であることに気づくにはユダがあまりにも未熟すぎた?いや、実は、イエスが攻撃しているのは、ユダ自身ではなくユダをつき動かしているもうひとつの力なのだと知るなら納得がいく。それにしても悪の神秘は未だに解けてはいない。
会議の後は九州司教団の懇親会。気心の知れた間柄での会食は楽しかった。
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楽しい日のご様子を読ませて頂くだけで、改めて自分の信仰が信仰を頂いた喜びと一つ一つの事に神様に感謝する事を気がつかせて下さいます。
感謝。
お節介ですが、ここがヒントになるのではないでしょうか。
http://www.ewtn.com/expert/answers/poem_of_the_man.htm