イエスが説いた愛
41回目となる今年の研修会のテーマは「イエス様を伝えるには、・・・」カトリック22園から145名。
今回の講話は事前に現場の幼稚園から寄せられた質問に答える形でなされた。いずれも先生たちが子供たちに伝えようとするときムズカシイ!と感じていることばかり。先ず取り上げられたのが「あなた方も聞いている通り、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、私は言っておく。敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさい」(マタイ5.43-48)。
自分が敵だ思っている限りは愛することはできない。イエスはできそうにもないことを要求しているのではない。隣人に枠を設けるな、ということ。なるほど。御父は人によってご自分の愛を使い分けたりはなさらない。あなたたちもそれに習いなさい。なるほどね。「だから、あなた方の天の父が完全であられるように、あなた方も完全な者となりなさい」(同48節)。完全な者!?しかし、「完全である」とは「分けられていない」という意味。「愛において完全であれ」と理解してそのように話していたと思うが、これは目からウロコ。さすが神学者の解説は奥が深い!要するにイエスの真意は「相手によって愛を使い分けることなく同じ誠実な愛で生きよ。」ガッテン!でもチャレンジ。
もうひとつ印象に残ったのは「孤独の復活はありえない。」関わりを生きた体の復活であるなら、関わりそのものも永遠。十字架でさえも父との愛の関わりからイエスを引き離すことはできなかった。愛は死よりも強い。人間がはじめて死の壁を破った。愛の勝利。それが復活。そして、その希望が私たちにもあると信じている。愛だけが永遠に残る。だから、金や名誉よりもそれによって生きていこうとする。愛だけは持っていけるからだ。これがキリスト者。
「ところで、天国でまた会えるというのは本当ですね?」「本当です!」会場から思わず笑いが起こった。安心の笑い?それとも、ボクと同じように、いまいちど確信が欲しかっただけ?ともあれ、大半が信者でない先生たち。うなづきながら聞いてくれていたのが嬉しかった。今回のメッセージをまず自分が生きようとすることが肝要。おのずとクラスに反映されるに違いない。
それにしてもC型肝炎の辛い治療中にもかかわらず鋭意三コマを勤め上げた講師の精神力に脱帽だ。ミサでの話は気持ちばかりが先走ってなんだか落ち着きの悪いものだった。
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