イフガオミッション⑥
おとといの晩、夕食直前テーブルにどこかで見たような一枚の写真。「はてな?」「キアンガンだよ」「そうだそうだった!」
「庭の写真を持ってきて欲しいということだったが、写真を撮れなかったものだから・・・」サンミ神父さんが壁に押しピンで留めてあったものをはずして持ってきたのだと分かった。そうだ、イフガオの話はまだ終わっていなかった。第二次大戦の秘話、それはまさに悲話なのだが、が残っていた。
昨日は一日大隈半島を回ったので書けなかったが今日はディノ神父さんと指宿のフィリピン共同体に招かれたのでちょうど良かった。第二次大戦中の悲話には事欠かないと思うが、ここキアンガンでも例外ではなかった。
どういう動機でかは聞く気にもなれなかったが山深い平和な村に銃声がこだまし阿鼻叫喚の地獄絵が繰り広げられた。遺体は無造作にトラックに投げ込まれ、なんとこの教会の庭の一角にまるでゴミのごとく放擲(ほうてき)されたという。いつだったかはこれまた確かめなかったが、掘り起こしてみてもすべて土と化して遺骨収集はかなわなかったという。しかし、それらしい記念碑はない。「ボクも協力するから是非建てたほうがいい」そう提案したら信者たちに話してみるということだったが・・・。サンミ神父さんも「そう思う」とは言ったものの、どこでもそうだが、特に貧しいこの地域では先立つものがままならなかったに違いない。
それにしても、あの晩集まったサンミ神父さん率いるおじさんたちのキアンガン・バンドの面々。演奏後の人事のようなあっけらかんとした証言は一体なんだったのか。ボクに遠慮してか、それともすでに戦争を知らない世代のせいか、はたまたアルコールのせいだったのか?いずれにしても、身の毛のよだつような過去を封印しているわけではあるまい。「戦争はみんなをおかしくさせるから・・・」と誰かが言ったようだったが、やはり受け継がれた信仰の故なのかもしれない。
ともあれ、小さなものでいいから、こちらから積極的に建立を働きかけたい。かつて、日本人のために立派な黒御影の慰霊碑をかつての戦場に建てたのとは逆に、日本人の応援で現地の人々のための慰霊碑を建てるのはある意味当然ではないか。同意される方は下記口座に郵便振替で振り込んでもらえると嬉しい。
「17800-5231401 アジア会」
20年余り続けているアジアの友達を援助するために始まった大きい名前の小さな基金。会計報告も領収証もない。サンミ神父さんもこの基金から支援していた。
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