シロ兄(アニ)逝く
戦後奄美に宣教師たちが戻ってきたのは1946年。昭和21年。アメリカ人の宣教師たちはカトリック図書館を建て、カテキスタ(カトリック教理教師)学院を開設し、
戦災に会った教会の再建修復に献身した。故郷瀬留の教会も骨組みだけを残して子供たちの遊び場になっていた。小学校低学年の頃だったか、そんな廃屋と化した教会がにわかに活気づいた。宣教師たちとともに若い大工さんたちが大勢やってきて教会再建が始まったからだ。見知らぬよそのおじさんや若い人たちに子供たちが興味を感じたのは言うまでもない。それに、墨汁の中を通して糸を張り、真ん中あたりを摘み上げて離すと黒い線がまっすぐにひかれる。そんな作業を見るのも楽しかった。大工さんたちはその道具をシンツブ(線を引く壺?)と呼んでいた。
「名前はナニ?」。そんな中で、一番若い大工さんに質問した。彼は線を引く手を休めて墨汁で白と書いた。「シロ?アナンダロー!」(ウッソー)「フントダッカー。」(ウソだもんか)そう言ってにやにや笑うので「シロチド。シロ、シロ!」(しろだって!)といってはやし立てたものだ。いつしか子供たちは彼を親しみを込めて“シロ兄アニ“(しろにいさん)と呼ぶようになった。
あれから60年、そのシロ兄が7人の子供を残し、しかもそのうちの一人を司祭として捧げ御父のもとに旅立った。洗礼名はセラフィム。当時の主任司祭の名前だという。調べてみたら、ギリシャ正教会の聖人で聖セラフィムがあった。それはともかくとして、セラフィムといえば、「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う」と神をたたえていたセラフィムのことで、イザヤが幻に見た天使たちのことだ。そのうちの一人が、祭壇から炭火を取って彼の口に触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れてので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」預言者イザヤの誕生だった(6.1-8)。
奄美本当で働く司祭たちを始め、17名の司祭、司教による葬儀ミサで印象深かったのは、告別式にあたって、司祭たちが一人ずつ遺体に香炉での献香をしたことだった。ホスピスに関わる妹シスターのお話によると、最後は息子司祭の名を呼び、子供たちの手で沐浴を済まして、さっぱりしたところで旅立たれたという。本当の大往生とはこのことだと感動した。
安らかに憩わんことを。
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