ピースウォーク
小教区にいた頃から、若者と参加したいと思いながら一度も果たせなかった広島の平和行事。ついに念願がかなった。と、言っても、
おり良く名古屋でのME全国大会と日程が一部重なったからという、消極的動機を告白しなければならない。
ともあれ、原爆投下の朝8:15に合わせた戦没者追悼ミサは感動的だった。浜口司教さんの説教は真実味に溢れたもので今日の日にふさわしいものだった。捧げられた二つの小さな花束は、戦没者にたいする献花かと。心配りがにくい。聖堂がすっかり埋まったところからして500名?
ミサ後のピースウオークも周到に準備されたもので、原爆以外の広島のもう一つの痛みの歴史を教えてもらった。明治維新以来、日本が辿った国作りの歩みを浮き彫りにした資料は貴重なものだった。広島と言えば、あの原爆ドームが想起されるが、明治政府が推し進める富国強兵の国策を遂行する西の拠点だったことに関しては初めて知るようなことばかりで、無知を恥じた。
教会を出発して間もなく、捕虜の収容所跡を記す案内板が、倉庫かと見まがう古い建物の壁にそっとかけてあった。しばらく行って、先導者が涼しげな建物の陰に入っていった。あまりの暑さに涼を取るのかと思いきや、幼年兵学校跡だという。驚いて見回すと、いたいけな少年と少女の像が建っていた。しかも保育園の一角。なぜか、中学校でなくてよかったと思った。
大本営のあった城址の松林の中で黙想とお祈りで3時間ほどのピースウォークを終えた。横浜から20数名ものフィリピン人たちが参加したのもピースウォークにふさわしいことだったが、和解の手を向こうから差し出されたようで心が震えた。120万の政令都市として発展を続ける広島の町の随所に残されている国作りの負の遺産は無言の語り部。帰りの新幹線で、広島が、なぜ原爆投下の標的にされたのか分かったように思った。
2日の奄美に始まり、京都、名古屋、そして広島の一泊ずつ巡業が終わった。ヤレヤレ。それでも、ピースウォークで締めくくりというのは嬉しい。
平和の鐘の音をきくことができます。
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