ヨブと出会った日
今、教会の祈りの読書課の聖書はヨブ記。今朝の一節。「あのころ、わたしの足は凝乳に浸され、岩もわたしのために油の流れを注ぎ出した。」(29,6)-フランシスコ会訳ー
白髪三千丈は中国のことかと思ったが、古代イスラエルにもあったことに驚いた。というよりも、なんだかおかしかったので、思わずホラ吹きヨブ、と笑ってしまった。もっとも、聖書には大げさな描写は多いが、いずれも、信仰が問われることなので笑い飛ばすわけにはいかない。たとえば、「もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここからあそこに移れ』と命じてもそうなる」(マタイ17,20)と言われても、大げさすぎるとは思うが、だから試す勇気もないのだが、それでも笑ったりはしない。
むしろ、ただでさえ信仰が弱いことに引け目を感じたりすることが多いので、イエス様から名指しで弱いところを突かれたようでうなだれてしまう。ホラ吹きヨブと言ったが、予期しない不幸に次々と見舞われてついに無一物になった上に、たちの悪い皮膚病におかされたとなれば、彼をからかう気にはなれないどころか、あまりの悲惨さに顔をゆがめてしまう。
だが、そんな中にあっても、栄華を極めたころの描写はまさに大言壮語。うっとり酔いしれている姿さえ彷彿とする。そして、沈痛な面持ちでたたずむ周りの者が思わず手を振りながら破顔一笑する明るさがある。ヨブには、イエス様の十字架上での不条理の死を先取りしたような悲劇のヒーローとしての悲哀に覆われている印象があるが、もしかしたら、AB型の明るい性格の人ではなかったのか。
ところで、自分を振り返ってみるに、神様の恵みに心が震えた時でさえも、「神さまありがとう!」を繰り返しはしても、ホラを吹くぐらい大げさに述べ立てたことはない。今後もないとは思うが…。いずれにしても、ヨブが身近に感じられた朝のひと時だった。
豪雨と豪灰にもめげず、自生のかぼちゃが小さな実を結びイチジクも実った。
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